鸚鵡 おうむ・あうむ

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花鳥版画 鸚鵡図 伊藤若冲

日本での鸚鵡に関する最初の記録は

新羅、遣上臣大阿飡金春秋等、送博士小德高向黑麻呂・小山中中臣連押熊、來獻孔雀一隻・鸚鵡一隻

 

日本書紀孝徳天皇大化三年(647)

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キバタン

あうむ(鸚鵡)

鸚鵡は、正しくは鸚鵡類中の『きばたん』をさしていふのであるが、ここには鸚鵡類の総てに向つて此の名を用ひることにする。従つて鸚歌もこれに含まれる。この鳥は濠洲辺を原産地とするものもあれば、南米を故郷とするものもある。日本には大化三年に新羅から孔雀と鸚鵡各一双を献じたこと史に見える。鸚鵡の名を独占してゐる『きばたん』は濠洲の産でよく物真似をする処から愛玩動物として古来珍重された。鸚歌類は、五色いんこ、おかめいんこ、金剛いんこ、黒髪いんこ、せきせいいんこ、其他種類極めて多い。鸚鵡、鸚歌を画いた作も極めて多い。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲 

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『奇観名話』 宝暦八年(1758)

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鸚鵡牡丹図 伊藤若冲

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枕草子』では

鳥は、こと所のものなれど、鸚鵡(あふむ)、いとあはれなり。人のいふらんことをまねぶらんよ。

[現代語訳]鳥は、他国産のものだけれど、鸚鵡が大変心動かされるものだ。人の言うことを真似するようだ。

[余説]鸚鵡は古く朝鮮半島から入貢されたと記録(孝徳紀、斉明紀、天武紀)に見えるが、清少納言の頃に、実物を見ることはすでになくなっていたのだろう。『文選』の「鸚鵡賦」などによる知識によって書いているのだと思う

 

枕草子』全訳注 上坂信男 神作光一 講談社学術文庫 1999

 鸚鵡賦』とは

禰衡(でいこう)、字は正平(173-198)。後漢末の人。若くして弁舌文章の才に溢れ、世間を見下していた。建安の初めに許に来遊したが、曹操の意に逆らったため、荊州劉表のもとに送られた。劉表も禰衡の傲慢さをもてあまし、性急な性格の江夏太守黄祖に押しつけた。初めは黄祖の太子射(えき)の寵愛を受けていた禰衡であったが、無礼な言動をとがめられて黄祖に殺された。「鸚鵡の賦」は、彼が殺される直前の作で、才能が有りながら捕らえられた鸚鵡に、自分の境遇を託している。なお、この作品を晉の藩尼の作とする説もある(『酉陽雑爼』語資)。

 

(冒頭部分通釈)

そもそも、この鳥は西域産の霊鳥であり、自然の力により素晴らしい姿を与えられている。白い羽根からわかるように、金の徳の霊質を体しており、赤い嘴からわかるように、火の徳の光輝を持っている。性質は賢く、言葉をしゃべることができ、才能は聡明で、物事の時機を知ることができる。それ故に、険阻な高山に遊び戯れ、奥深い谷間に住み着いている。飛んでいるときは、妄りに降りることなく、飛ぶ場所には、必ずふさわしい林を選ぶ。足首は紺色、嘴は赤く、羽根は緑で、首の回りは青緑である。彩りは麗しく、鳴き声も美しい。他の鳥と仲間ではあるが、もとより智慧も心も異なっている。美しさにおいて、鸞鳥や鳳凰に肩を並べるものであり、その他大勢の鳥などは、比べ物にもならない。

 

『新釈漢文大系第81巻 文選(賦篇)下』 高橋忠彦 明治書院 2001

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ゴシキセイガイインコ

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楊貴妃教鸚鵡頌経図 宝山遼墓

 せついらう(雪衣娘)

鸚鵡の別名、これは唐の玄宗皇帝の開元年中、嶺南から白鸚鵡を献じたものがあり、これを宮中に養つてゐたが、此の鸚鵡極めて聡慧で、よく人の言葉を聞分けたので、帝も楊貴妃も非常にこれを愛して雪衣娘と呼んだ。古画に帝と妃とこれを眺めてゐる図がある。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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柘榴花白鸚鵡図 山田秋坪 大正九年(1920)

こうたうせつい(紅桃雪衣)

紅花の桃に、白の鸚鵡を配したもの、橋本関雪にその作がある。

 

せきりうせつい(石榴雪衣)

石榴に白鸚鵡を配したもの、堅山南風にその作がある。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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石榴に鸚鵡 小原古邨 昭和二年(1927)

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花鳥版画 青桐に砂糖鳥 伊藤若冲

りよくいししや(緑衣使者)

鸚鵡の異名で、有名な支那の伝説によつて斯く名付けられたもの、『開元天宝遣事』に曰く、

長安城中、有豪民楊崇義者、家富数世、服玩之属、僣於王公、崇義妻劉氏有国色、与隣舎児李弇私通、情甚於夫、遂有意欲害崇義、忽一日酔帰、寝於室中劉氏与李弇同謀而害之、埋於枯井中、其時僕妾輩並無所覚、惟有鸚鵡一隻、在堂前架上泊殺崇義之後、其妻却令童僕四散尋覓其夫遂経府陳詞言、其夫不帰、窃慮為人所害、府県官吏、日夜捕賊、渉疑之人及童僕輩経栲棰、者百数人、莫究其弊、後来県官等、再詣崇義家、検校其架上、鸚鵡忽然声屈、県官、遂取於臂上、因問其故鸚鵡曰、殺家主者劉氏李弇也、官吏等遂執縛劉氏及捕李弇下獄、備招情款、府尹具事案奏聞、明王歎訝久之、其後劉氏李弇依刑処死、封鸚鵡為緑衣使者、付後官、養餵、張説復為緑衣使者伝好事者伝之。

鸚鵡の絵に『緑衣使者』と題するもの、ここに出てゐる。

 

 『東洋画題綜覧』金井紫雲

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『見ぬ世の友 十二鸚鵡盗をつぐる事』 明暦四年(1658)

金持ちの楊崇義が妻(劉氏)と間男(李弇)に殺され古井戸に埋められるが

それを見ていた鸚鵡の訴えによって悪事が露見し

鸚鵡は玄宗によって『緑衣使者』に封ぜられたという