朝妻桜 あさづまざくら

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朝妻桜は江戸の切支丹屋敷にあった桜

処刑された遊女朝妻の名をつけられたもの

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朝妻桜 栗原玉葉

東京小石川茗荷谷切支丹屋敷に遺る桜の名で、寛永の頃、遊女朝妻といふもの切支丹宗に帰依し捕はれて此の桜の木の下に刑死せられ、爾来此の桜を朝妻桜といふと、此の古い口碑によつて画いた作に、栗原玉葉筆『朝妻桜』(第十二回文展出品)がある。又戯曲には岡本綺堂に切支丹桜がある、出所は同地に残る左の山荘碑の文に拠る、

有妓朝妻、罪当死、指獄辺桜樹、語獄吏曰、得及花死無恨、官憐之

と、碑には『文化乙亥五月、間宮士信撰、吉田畿書』と記してある。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

碑は後に蓮華寺に置かれ明治末に寺ごと中野に移された

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山荘之碑

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文京区史巻二

切支丹屋敷 きりしたんやしき

江戸・小石川小日向(東京都文京区)に設けられ、キリシタン伴天連らを収容した所で、山屋敷ともよばれた。宗門改役を兼ねた大目付井上筑後守政重がその下屋敷に、1643年(寛永20)日本へ潜入したイタリア人伴天連キアラ(岡本三右衛門)らを収容、宗門改の情報を集めたのに始まり、1646年(正保3)には籠舎・倉庫などを整備した。1708年(宝永5)に潜入した伴天連シドッチも翌年ここに収容され(1715年牢死)、新井白石が直接尋問して互いにその人物・識見を評価しあった。白石はその影響を受け、『西洋紀聞』その他を著し、キリシタンの日本侵略説を否定、世界的視野の拡大をもたらし、洋学摂取への道を開いた。その点において、近世文化史上、重要な遺跡であるが、1724年(享保9)籠舎は焼失したまま収容者もなく再建されず、1792年(寛政4)宗門改役の廃止とともに廃絶した。その後、幕臣に土地が分与され、現在は茗荷谷(みょうがだに)の俗称切支丹坂、俗説的八兵衛石などにわずかにその跡をとどめているにすぎない。

 

日本大百科全書(ニッポニカ)

岡本綺堂戯曲『切支丹屋敷』は

牢の朝妻が改宗を勧める侍に恋しつつも従わず

ヨハンに懺悔の許しを得た後に処刑されるまでの話

大正二年五月新富座初演

切支丹屋敷

登場人物(初演配役)

宗門奉行 井上筑後守(市十郎)

井上の家臣 山下伊織(寿美蔵)

伊太利人 ヨハン(左団次)

吉原の遊女 朝妻(松蔦)

禿 みつの(かつみ)

囚人 奥州の弥市(又五郎

同 久留米の七助(荒二郎)

牢番 曾平次(左升)

同 三五郎(左喜之助)

 

岡本綺堂戯曲選集』第四巻 一幕物前編青蛙房 1958

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 殉教(伴天連お春) 松本華羊

殉教をテーマにした本作は、華羊が第十二回文展に落選した「朝妻桜」を描いた作品に相当するのではと思われる(北川久氏論文参照)。

 

『島成園と浪華の女性画家』東方出版 2006

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春の愁い 島成園

最新の研究では、この絵は「朝妻桜」を題材に描かれたとの指摘がなされている(北川久氏論文参照)。

 

『島成園と浪華の女性画家』東方出版 2006