蘆苅・芦刈 あしかり 芦刈山 あしかりやま
大和物語第百四十八段 芦刈 尾形月耕
芦刈は夫婦の情を主題とする説話とそれを題材にした謡曲
あしかりせつわ【蘆刈説話】
アシの名所難波を背景とする夫婦愛を描いた説話。《大和物語》百四十八段にみえるのが古いかたち。ある貧しい夫婦が難波に住んでいたが,男は思いわずらった末に女を京へやり,宮仕えさせる。女はやがてその主に思われ妻として迎えられるが,女は前の夫のことが忘れられず,ある日他事にことよせて難波へ赴き,蘆刈りとなったみすぼらしい身なりの男に再会する。男は〈君なくてあしかりけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住み憂き〉の歌を女に送り,逃げ出そうとする。
大和物語 第百四十八段
(女は)手紙を開けてみると、たとようもなく悲しくなって、おいおいと声をあげて泣いた。さて返歌はどうしたかわからない。(女は)車の中で着物を脱いで、包んで、手紙などを書き添えてやった、そうして都へ帰って行ったとか。その後、ふたりはどうなったのか、わからない。
『大和物語(下)』全訳注 雨宮博洋・岡山美樹 講談社学術文庫 2006
攝津名所圖會 蘆苅嶌
摂津芦苅明神の縁起、謡曲にも作られてゐる、扶桑故事『要略』の記す処左の通り、
摂津葦苅明神と申すは、昔摂州難波津に夫婦二人居住せり、宿世の戒行のつたなきにや、貧乏にして渡世を苦しみ、左右すれども不称、終に夫婦生別之時剋到来すれば、あかぬ別れをなす、然れども妻は世にある方に縁ありて、不乏送年序、剰可然富貴の家に、いざと云ふに催されて、再び嫁礼之定まれることあり、乗与力者優々として、佗に赴きけるに、昔住みにし浜の辺を行々見やれば、折しも前夫、葦二束を負ひて休み居るを、輿の内より見之、以為く、誠に一樹の陰の宿、一河の流れを汲む、是れ多生の縁なり、以乎夫婦の契〈かたら〉ひ数年の睦みあるものを、今賑しき方に往くとも、幾許の楽哉と、芳心を発し、二親の菩提のためと小袖を押し出してとらせけり、男はあやしみながら、喜びて立ち寄りて見簾中、正しく吾が昔の妻なり、此の男負ひたる葦を折り捨てゝ得たる小袖を肩に懸けて磯に立ち寄りて、涙と共に
君ならで葦刈りけりと思ふよりいとゞ難波の浦ぞ住みうき
と詠じて南無と計聞えしが、その身は海に飛び入りける、女房見之、悲涙絶感、従者に告げて云く、唯今投身男の体を見ばや、前後の人誠と思ひ、輿を立てゝ休みけるに女房も磯に立ち寄りて云はく、一仏浄土へ迎へ給へと、南無と云ひて共に入海、其の後海神の通力を得て、神と顕はれて、難波津の葦刈明神と成り玉ふと云へり。
謡曲の方は、『大和物語』から取つてゐるので男を日下(くさか)左衛門といひ、これがシテであり、妻がツレで、妻の貞節により夫を尋ね出して共に京へ上るといふことになつてゐる、其の一節、
「いかに是なる人に申すべき事の候ふ、「此方の事に候ふか何事にて候ふぞ、「見申せば、色々の物を売り候ふ中に、難波の芦を御売り候ふ事やさしうこそ候へ、「さん候ふ、此あたりにては売る者も買ふ人も、唯何となくあつかふ所に、都の人とて難波の芦を御賞翫こそ、返す/\もやさしけれ、我も昔は難波津の、名におふ古き都人の、ゆかりの露のおちぶれたる、身は枯芦の色なくとも、よしとて召され候へ、「あら面白や候ふさてよしと芦とは同じ草にて候ふか、「さん候ふ、譬へば薄ともいひ穂に出でぬれば尾花ともいへるが如し、「扨は物の名も所によりて替はるよのう、「中々の事、此芦を伊勢人は浜荻といひ、「難波人は「芦と云ふ。「むつかしや難波の浦のよしあしも、賎しき海士はえぞ知らぬ、唯世を渡る為めなれば、仮の命つがんとて、芦を取り運びて此市にいづる芦数におあし添へて召されよや、おあし添へて召されよ、露ながら、難波の芦を刈り持ちて、よるは月をも運ぶなりや、名残をし夕波の、昼の内に召されよや、昼の中に召されよ。
芦刈は能画としても画かれ舞踊にも芦苅あつて、絵になつてゐる。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
芦刈(あしかり)
難波の浦に住む日下の左衛門夫婦は貧窮のため別れ、妻(ツレ)は都の貴人に奉公していたが、久しぶりに従者(ワキ)を伴って故郷の難波を訪れる。里人(アイ)に夫の消息を尋ねると、行方が知れないという。そこへ芦売り(シテ)が来て、節おもしろく歌いながら芦を売り、笠尽しの舞を舞う。その芦売りこそ夫の左衛門だった。夫は零落の身を恥じて逃げるが、妻は夫のもとへ行き、二人は歌を詠み交して名のり合う。夫は身なりを改めて喜びの舞を舞い、連れ立って都へ上る。部分的に、作詞作曲とも世阿弥であることが明らかで、全体としては古作の能をもとに世阿弥が改作したものと推定される。(『五音』『申楽談儀』)。
祇園会山鉾古代図譜 芦刈山
ARC所蔵arcBK01-0103_15
芦刈山の由来
「芦刈山」の趣向は世阿弥作と言われる謡曲「芦刈」に基づき、《故あって妻と離ればなれになった男が難波の浦で芦を刈る姿》を現しています。謡曲の筋書きは、この夫婦が3年ぶりに再会を果たして、和歌を詠み合い、相携えてめでたく都に戻るというものです。
夫「君なくて、あしかりけりと思ふにも、 いとど難波の浦は住み憂き」(君がいなくなって、悪いことをした、別離などしなければよかったと思うにつけても、芦を刈って暮らす、難波の浦は住みづらいことだ)
妻 「あしからじ、よからんとてぞ別れにし、 なにか難波の浦は住み憂き」(良かれと思ったからこそ、私もあなたとお別れしたのです。難波の浦が住みづらいなどと、おっしゃってはいけません)