安達ヶ原・安達原 あだちがはら 黒塚 くろづか 一つ家・一ツ家 ひとつや

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安達ヶ原は鬼女伝説の地

安達原(黒塚)は伝説を謡曲にしたもの

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奥州安達がはらひとつ家の図 月岡芳年

芝居の『奥州安達原』を題材とした一図。

逆さに吊るされた妊婦の下で、恐ろしい鬼婆が刃物を研いでいる。老婆は前九年の役で没落した安倍一族の生き残りで、安倍貞任と宗任の母である岩手。一ツ家に宿をとる旅人たちを殺害しては金を奪い、軍用金を蓄えていた。幼い天皇の弟君である環の宮の病気を治すため、一ツ家に泊まった志賀崎生駒之助の妻恋衣を殺して生き血を取ったが、のちに恋衣は岩手の実の娘ということが判明する

 

『江戸の悪 PARTⅡ』 太田記念美術館 2018年

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能楽百番 安達原 月岡耕漁

 

観世流では『安達原』他では『黒塚』と題する

(一)安達原は今の福島県岩代国安達郡大平村附近で、現に黒塚の古跡があり、古の鬼の窟の跡と伝へらる、出所は『拾遺和歌集』に

  陸奥の国名取の郡黒塚といふところに重之が妹あまたありと聞きていひつかはしける。

みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか  平兼盛

とあるのから来てゐる、鬼女が棲んで、みごもつた美女を取り喰ふ趣向などにして伝へられ、歌舞伎の『一つ家』になつたりしてゐる。

(二)謡曲の名、一名黒塚、氏信作、安達原に道ふみ迷つた山伏が、鬼女の住家に宿を求め終に鬼女を祈り伏せる筋、一節を引く

「ふしぎや主の閨の内を、物のひまよりよく見れば、膿血忽ち融滌し、臭穢は満ちて肪脹し、膚膩こと/゙\く爛壊せり、人の死骸は数しらず軒とひとしく積み置きたり、如何さま是は音にきく、安達が原の黒塚に、こもれる鬼の住かなり、恐ろしやかゝる憂き目を陸奥の、安達が原の黒塚に鬼こもれりと詠じけん、歌の心もかくやらんと、「心も迷ひ肝を消し行くべき方は知らねども、足に任せてにげて行く。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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能楽図絵 安達原 月岡耕漁

黒塚(くろづか)

熊野の阿闍梨祐慶(ワキ)と同行の山伏(ワキツレ)は、廻国行脚の途中、陸奥の安達が原で宿を借りる。主の女(シテ)は、憂き世に生きる辛さを嘆きつつ、糸繰りのわざを見せてもてなすが、留守中に閨(ねや)を見ないように言って薪を採りに出かける(中入)。女との約束を破って閨をのぞいたところ、そこには死骸が山と積まれていた。驚いて逃げる山伏を、本性を現した鬼女(後シテ)が追いかけ、違約を責めて襲いかかるが、ついに祈り伏せられ、姿を消す。

 

『岩波講座 能・狂言Ⅵ  能鑑賞案内』 岩波書店1989

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画図百鬼夜行 黒塚 鳥山石燕

 黒塚のある真弓観世寺の縁起には、神亀年間(724-729)紀州熊野の東光坊阿闍梨が、黒塚で鬼女と出会ったが、行基作の如意輪観音像に救われたとある。

 

『日本伝奇伝説大辞典』角川書店 1986 

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東都旧跡尽 浅茅ヶ原一ツ家 石の枕の由来 広重

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当盛見立人形之内 一ツ家之図 国芳

一つ家 ひとつや

歌舞伎脚本。河竹黙阿弥作。

浅草観音霊験記の姥ヶ池の伝説に基いた作。

武蔵国浅茅ヶ原の一つ家に住む老婆いばらは道に迷った旅人を泊めては石の枕で寝かせ、寝入ったところで上からつるしてある石の縄を切ってこれを殺し、金銀を奪うのを常としていた。ある日、都から観世音を巡拝する稚児が泊まったが、いばらの娘浅茅はこの稚児の気高く美しい姿に恋心を覚え、ひそかにこれを逃がしてやる。いばらは激怒して娘を殺そうと鉈を振り上げると、急に五体がすくんで動けなくなる。稚児は実は観世音菩薩の化身で、燦然たる光明を放って紫雲にのってその姿をあらわすので、いばらは悔悟し姥ヶ池に身を投げて死ぬ。

これはすべて佐渡七が観音堂に掲げてある国芳が描いた「一つ家」の額を見ての夢だったという趣向になっている。

 

『総合日本戯曲事典』平凡社 1964

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一ツ家 国芳