伊勢 いせ(877?-938?)
三十六歌仙絵巻 伊勢
いせ(伊勢)
平安朝の女流歌人にして、三十六歌仙の一人、前の伊勢守藤原継陰の女、七条后の宮に仕へ、一時藤原仲平と想思の仲となり、後宇多帝に寵せられ、寛平の末年行明親王を生む、帝御譲位の後、伊勢亦退いて五条の里第に住む、後また敦慶親王の愛を受けて女、中務を生む、和歌の道に秀で承平四年、皇后宮五十の賀及び七年陽成上皇七十の賀の屏風に並に和歌を献ず。(三十六人歌仙伝)
きさいの宮の五十賀せさせ給ふに御屏風に祓するところ
楔ぎつゝ思ふ事をぞ祈りつるやほよろづよの神のまにまに(伊勢集)
『東洋画題綜覧』金井紫雲
雁を見る伊勢 清長
春霞たつを見すててゆく雁かりは花なき里に住みやならへる(古今集)
伊勢
平安時代の歌人。三十六歌仙のひとり。伊勢御,伊勢御息所とも呼ばれる。父は伊勢守,大和守などを歴任した藤原継蔭。宇多天皇の女御温子の女房として出仕,父の任国によって伊勢と呼ばれた。温子の兄である藤原仲平との恋の破局から一時父のいる大和に下ったあと,再び出仕,仲平の兄時平などとの恋愛ののち,宇多天皇の寵を受け皇子を生んだが,その皇子は幼くして没した。温子の没後,宇多天皇の皇子敦慶親王の愛人となり,歌人として知られる中務を生んだ。『古今集』編集に先立ち醍醐天皇から家集の提出を求められ,「春霞立つを見捨ててゆく雁は花なき里に住みやならへる」など,女性では最高の22首が入集。次の『後撰集』には70首もの作が採られるなど,宇多・醍醐・朱雀朝にわたって当時の歌風を代表する歌人のひとりとして活躍。華やかな恋愛遍歴の中で生み出された秀歌も多いが,宇多天皇の命により長恨歌屏風の歌を詠進するなど,依頼されて詠作する専門歌人として,屏風歌や歌合にも多くの歌を詠んでいる。家集『伊勢集』は冒頭約30首に物語的な詞書を伴っており,その部分は特に『伊勢日記』とも呼ばれて,歌物語や女流日記文学とのかかわりが注目されている。やがて最盛期を迎える平安女流文学の先駆者として,『源氏物語』などに与えた影響はきわめて大きく,中世には『伊勢物語』の作者にも擬せられていた。
三十六歌仙 伊勢 鈴木春信
三輪の山いかに待見む年ふともたづぬる人もあらじとおもへば(古今集)
伊勢図 宮川長春
伊勢 宮川長春
伊勢図 西川祐信
難波潟みじかき蘆のふしのまも逢はでこの世をすぐしてよとや(新古今集)