雨乞小町 あまごいこまち・あまごひこまち【七小町】

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雨乞小町図 月岡雪鼎

あまごひこまち(雨乞小町)

小野小町が旱天の折一首の和歌を詠じて雨を祈つた処、忽ち雨の降り出でたと云ふ故事による、歌は三十六人集にある。

日の照りけるに雨乞の和歌詠むべきせむじありて

千早ふる神もみまさば立さわぎ天のとがはの樋口あけ給へ

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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当世やつし雨乞小町 豊国

雨乞小町

天下旱魃の時、小町が平安京神泉苑で雨乞いの和歌「千早ふる神もみまさば立ちさばき天のとがはの樋口あけたまへ」を詠じ、この歌の徳で大雨がたちどころに降ったという話。ただし雨乞いの和歌は普通「ことはりや日のもとなればてりもせめさりとてはまた天が下とは」として、この方が多く伝わっている。

 

『原色浮世絵大百科事典』大修館書店

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浮世七小町 雨乞 鳥居清長

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風流七小町 雨乞 司馬江漢

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雨乞小町 鈴木春信

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風流やつし七小町 雨こい 鈴木春信

「風流やつし七小町 雨こい」

ⓐこま絵

歌……ことはりや日のもとなれはてりもせんさりとては天が下とは

図……雨傘・短冊

「ことはりや」の歌の詳しい起源は分からない。元禄二年(1689)刊の『和歌威徳物語』に「神感 神明哥を感じ雨をふらし給ふ事」という項目があって、その中では、国中日照りがうち続いた時、小町が京都の神泉苑において雨乞するために詠んだ歌だとされている。この歌は、写本『七小町物語』にもあり、近世では専ら小町の詠とされている。

 こま絵の図柄、雨傘と短冊はその説明の必要もあるまい。歌の内容は〈なるほど日の本の国だから日照りするのももっともだ。とはいえ国のことを天が下とも言うのだからもっと雨が降ってもよいではないか〉というものだが、これが絵と交響しあって、画中に新しい趣が生まれてくるような様子はない。つまりこま絵は典拠が「雨乞小町」伝説にあることを明示しているだけのようだ。ただ「ことはりや」の歌を引用することで、当世「娘小町」の歌の力がいよいよ向上し、〝力をも入れずして天地をうごかし、目に見えぬ鬼神をかんぜしむ〟るような〝めでたき哥よみ〟にまで成長したしたということを表現することにはなっていよう。つまり小町に「歌の威徳」が備わったと。

 

私説『風流やつし七小町』—春信画に見る絵と文芸との交響— 加藤好夫

『国際浮世絵学会会誌 浮世絵芸術 NO.143』2002