筒井筒 つついづつ・つつゐづつ【伊勢物語 第二十三段】 井筒 いづつ・ゐづつ

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筒井筒図 月岡雪鼎

筒井筒 つついづつ

筒井の筒の意。筒井は円筒状にまっすぐに掘り下げた井戸をいい、筒はその井戸の枠をいい、「筒井つ」とまったく同様に使われる。『伊勢物語』23段に、幼なじみの男女が「筒井筒(筒井つの)井筒にかけしまろ(私)がたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」の歌を贈答しあう恋物語があるため、幼なじみや幼い男女の恋のたとえとしたりするほか、「いつ」と同音の「いつか」「いつも」にかかる序詞として用いる。

 

『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館

https://www.britishmuseum.org/collectionimages/AN00755/AN00755778_001_l.jpg

伊勢物語 筒井筒 住吉如慶

The British Museum

つつゐづつ(筒井筒)

幼馴染を筒井筒という、井筒の側に無心に戯れしをいうなり。伊勢物語に昔田舎わたらひしてける人の子とも井のもとに出でて遊びけるを、おとなになりければ男も女もはぢかはしてありけれど、男は此女こそえめと思い、女も此男をこそと思いつゝ親のあはすることも聞かでなんありける、さてこのとなりの男のもとよりかくなん、つゝゐつゝ井筒にかけしまろがたけおひにけらしなあひ見ざるまに、女かへし、くらべこしふりわけ髪もかた過ぎぬ君ならずして誰かなくべき、是亦倭絵派の好画題として屡々画かるゝ所なり。

 

『画題辞典』斎藤隆

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見立筒井筒 鳥文斎栄之

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見立筒井筒 鈴木春信

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見立筒井筒 鈴木春信

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見立筒井筒 鈴木春信

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風流錦絵伊勢物語 り 筒井筒 勝川春章

筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに

 

〈現代語訳〉

丸井戸の上に組んである井戸枠の高さに及ばなかった私の背丈も、あなたにあわないでいるうちに、井戸枠より高くなったろうと思われますよ

 

伊勢物語』全訳注 阿部俊子 講談社 1979

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能楽百番 井筒 月岡耕漁

井筒 いづつ

初瀬参りの途次、在原寺の廃墟を訪れた諸国一見の僧(ワキ)の前に、美しい里女(シテ)が現れる。女は有原業平の塚に花水を手向け、僧に問われて業平と紀有常の娘との筒井筒の物語などを語ったのち、自分こそ有常の娘(井筒の女)とあかして姿を消す(中入)。僧の仮寝の夢の中に、再び業平の形見の衣装を身にまとった有常の娘の亡霊(後シテ)が現われ、恋慕の舞を舞い、恋の思い出の井筒をのぞきこみ、夜明けとともに消えうせる。『伊勢物語』の挿話に拠る、世阿弥作の女能。夢幻能の典型であり、作者の自信作でもある。(『申楽談儀』『五音』)

 

『岩波講座 能・狂言 Ⅵ能鑑賞案内』岩波書店 1989

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能楽図絵 井筒 月岡耕漁

ゐづつ(井筒)

伊勢物語 』筒井筒の段を本として作つた。謡曲の名、諸国一見の僧が南都七堂に詣で初瀬に向ふ途中在原寺に立寄り、業平や、紀有常の女のあとを弔ふとする、里の女が出て僧を案内する、やがて井筒の女現はれて、筒井筒の昔語りをする、前シテは里の女、後シテは井筒女、ワキが僧である。

「猶々業平の御事くはしく御物語候へ、「むかし在原の中将、年経てこゝに石の上〈かみ〉、ふりにし里も花の春。月の秋とて住み給ひしに「其頃は紀の有常が娘とちぎり、妹背の心あさからざりしに、「又河内の国高安の里に、知る人ありて二道に忍びて通ひ給ひしに、「風ふけば沖つ白波立田山、「夜半にや君がひとり行くらんと、おぼつか波の夜の道、ゆくへを思ふ心とげて、よその契りはかれ/"\なり、「げに情知るうたかたの、「あはれをのべしも理なり、「むかし此国に住む人の有りけるが、宿をならべて門の前、井筒によりてうなゐ子の、友達かたらひて、たがひに影を水鏡、面をならべ袖をかけ、心の水も底ひなく、うつる月日も重なりて、おとなしく恥ぢがはしく、たがひに今はなりにけり、其後彼まめ男、言葉の露の玉章の、心の花も色そひて、筒井筒、ゐづゝにかけしまろがたけ、「おひにけらしな妹見ざるまにと、よみておくりける程に、其時女もしらべこし、振分髪も肩過ぎぬ、君ならずして誰かあぐべきと、たがひによみし故なれや、筒井筒の女とも、聞えしは有常か娘のふるき名なるべし。

「げにや旧りにし物語、聞けば妙なる有様の、あやしき名のりおはしませ、「誠に我は恋衣、紀の有常が娘とも、いざ白波の立田山、夜半にまざれて来りたり、「ふしぎやさては、立田山、いろにぞいづる紅葉ばの、「紀の有常が娘とも、「又は井筒の女とも、「はづかしながら我なりと、「いふやしめ縄の長き世を契ぎりし年は筒井筒、ゐづゝの陰にかくれけり。(下略)

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲