犬 いぬ 一笑図 いっしょうず・いつせうのづ 狗子仏性・狗子佛性 くしぶっしょう・くしぶつしやう 犬追物 いぬおうもの・いぬおふもの
狗子図 俵屋宗達
犬と子 俵屋宗達
仔犬と蒲公英図 俵屋宗達
犬図 俵屋宗達
いぬ(犬)
犬は犬科に属する哺乳類の動物で、古から家畜として人に養はれ、よく馴れて人の生活上に多大の貢献を為しつゝある、犬が野生の動物から家畜に馴致されたのは、我々の祖先がまだ漸く磨きをかけた石器を作り始めた頃、即ち新石器時代で一万二千年以上の太古である、その祖先は狼であるとの説が根拠を深くしてゐる、種類も非常に多数あり、その性質に従つて狩猟用、番用、軍用、警察用、愛翫用とその飼養の目的を異にしてゐる、漢名に狗子あり、東洋画に扱はるゝ場合は多く狗子の文字を用ひる、狗は叩くといふ意、吠声が節あつて物を叩く如しと古書に載せてゐる。欧米産の外に日本犬、狆などよく知られてゐる。又、犬には種々伝説があり、例へば高野草創の狩場明神の犬、『日本書紀』に載する捕鳥部万(ととりべ のよろず)が犬、『生太平記』に有名な畑時能の犬、獅子、又、稗史として曲亭馬琴の八犬伝に描かれた『八房』など洽く人の知る処である。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
百々世草 神坂雪佳
一笑図 長沢芦雪
いつせうのづ(一笑図)
竹の下に一匹の犬を画いて一笑図と謂ふ蘇東坡の始めて画く処といふ、笑の字、竹冠の下に犬を書くを以て此の画題ありとするも、笑は竹下に犬を書くのではなく、夭である。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
狗子仏性画賛 仙厓義梵
くしぶつしやう(狗子佛性)
趙州狗子ともいふ、禅家の公案である、趙州和尚は池州南泉禅師の法嗣である、曹州赮郷の人、初め本州扈通院に従ひ南泉に参して唐の乾寧四年十一月二日寂した、趙州狗子は無門関四十八則の方一則で、最も真髄とさるゝものである。
趙州和尚、因僧問、狗子還有仏性也無、州曰無。
唯一語無というた処に妙味尽きざるものがある。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
趙州和尚は、僧に「犬にも仏性がありますか」と問われて「無」といった。仏性とは即今・当処・自己の「仏陀としての本性」のことで、未来に成仏するという〝仏陀になり得る可能性〟の意ではない。原典の『趙州録』によれば、「犬にも仏性があるか」「ない」「上は諸仏から下は螘子(あり)にまで、すべて仏性があるのに、狗子になぜないのか」「彼に業識性(宿業による煩悩意識の性)があるからだ」とあり、また後代の公案集『従容録』によると、あるときは「犬にも仏性があるか」「ある」「あるという以上〔畜生になど落ちぬはずなのに〕、なぜ畜生になったか」「彼が知って故(ことさら)に犯しているからだ」と答えたとある。しかしこれを「有無の会(あるとかないとかいう相対的な見方)を作す莫かれ」として、前の原典の後半の問答を切り捨てて、「絶対無」ないし「東洋的無」として見るようにしたのが「五祖下の暗号密令」と呼ばれる公案としての「趙州無字」である。
『一日一禅』秋月龍珉 講談社 2003
犬追物図屏風
千代田之御表 犬追物 楊洲周延
いぬおふもの(犬追物)
騎馬で犬を追射する技、犬追物射の略、追物射は猪鹿の類を追つて射ることの総称である、儀式は馬上蟇目の矢を用ひ、犬を追射する、馬場は弓杖七十杖四方、大小縄あり倶に繞らして輪状をなし、小縄は馬場の正面にあつて径間杖一枚、大縄は其外にあつて長さ二十一尋、其周囲に砂を敷く、是をケヅリキハと云ふ、射手は之に馬を乗入れ縄の内に犬を入れ、検見の報を待つて犬を放つ、射法は犬の小縄内から出て将に縄を越えやうとして未だ越え訖らぬ際に於て射るを正式とする、矢所には賞と不賞とあり、矢所とは犬に射中した所を云ふ、之に弓手、押交、馬手、馬手切等の数称があり、賞すべき所がなければ、更に犬をケヅリキハの外に追ひ之を射る、是を外の犬といふ、犬は白犬で百五十疋である、係りは射手、検見、喚次、幣振、日記付、䰗振、犬放、河原者等があり、射手は上手中手下手に分ち、検見は射手の射様優劣を定むる重職、喚次は検見の告を得て其名を称へ日記付に報じ、幣振は喚次の声に従ひ幣を振つて日記付に知らせる、日記付は射手の姓名及び射中の数及び矢数を記す、䰗振は䰗で射手に授け席を定める、河原者は二百人で各犬を牽き更に雑用に使はれる、犬放一人、又犬数は百五十匹、一度に十匹で犬追物は十五遍である、此の犬追物はその昔牛追物から出てゐるといふ、最初は後堀河天皇の貞応元年と称せられてゐる。(国史大辞典)
『東洋画題綜覧』金井紫雲
夏の宵 喜多川歌麿
親子と子犬 喜多川歌麿
色競艶婦姿 鳥居清長
犬と戯れる美人図
吉原美人合 絵本青楼美人合 わかまつ 鈴木春信
美人と白い犬 鈴木春信
花魁と禿と犬 鈴木春信
犬と遊ぶ遊女と禿 西川祐信
扇面貼交図屏風 俵屋宗達