鶉 うずら・うづら 粟鶉 あわうずら・あはうづら

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宋宣和殿雙安圖 伝徽宗

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鶉雀粟図

うづら(鶉)

鶉は雉科の鶉鶏目に属する鳥、雉科の中では一番小さい鳥で、西比利亜の東南から満洲、蒙古、支那、朝鮮から本州到る処に繁殖し冬になると台湾辺にも現はれる、その繁殖期は五月から八月頃迄で、其頃になると雄は喉の辺が美しい栗赤色を呈して来るが、冬になると消えて、白色の月形のやうな斑が現はれて来る、雌は淡褐色で変りはない、その背から翼、尾筒へかけての色彩は白と黒の交錯した一種特殊の色調を呈し距は殆んど無きに等しく、躯の肥えて円々とした特長がある、昔から田鼠化して鶉となるとか、蝦蟇が爪を得れば鶉になるとか、南海の黄魚が九月になるとかいろ/\といはれ、また鶉の現はれる頃には、粟の穂が熟する頃とて、よく粟鶉が画に描かれたりする、粟の外には各種の秋草が配せられることが多い

 

あはうづら(粟鶉)

晩秋の候、粟の熟する頃、鶉群をなしてこれに集る、古来、粟鶉として古歌に詠まれ従つて絵に画かるゝもの多い、『夫木集』には、

鷹のこを手にはすゑねどうづらなく粟津の原にけふもくらしつ 法橋顕昭

うづらなく粟つのはらのしのすゝきすきそやられぬ秋の夕ベは 藤原俊成

たかのこはまろにたはらむてにすゑて粟津か原の鶉かりせん 読人知らず

などと詠じてゐる、粟は五穀の一。

あはに大小あり夏秋早晩段々あり、共の種子数かぎりなく多き物なり、又、粘るをば秫と云ふなり、稲に次ぎ麦におとらず、上品にて古へより貴き穀とするなり大さは狐の尾のごとく小さきは鼬の尾の如し、ううる地は、黄白土は粟によろしとあり、黒土赤土も肥えたる、深きはよけれども黄白の肥えたるが、取分けよきものなり、惣じて粟は薄く瘠せたる地にはよからず、山畠にても、平原の畠にてもかたのごとく肥えたる性のよき地ならでは成長し難し。(農業全書)

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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鶉図 伝李安忠

鶉の図は安らかさの象徴であった。それは、「安」と中国語の鶉の意の「鵪」が同音(an)であることによる。単に同音だけの理由によるのか、またその音通による吉祥の意がいつから一般化したのか、いまのところ不詳であるが、宋代にあれほど多くの優れた鶉図が描かれたのは単なる偶然ではないだろう。少なくとも南宋頃には、「安」を表す吉祥シンボルとして鶉が好んで描かれていたといえる。

 

『花鳥・山水画を読み解く—中国絵画の意味』宮崎法子 角川書店 2003

 

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鶉図 伝李安忠

李安忠は北宋末の徽宗の宣和画院に奉職し、南宋紹興画院に復職した宮廷画家で花鳥走獣画にすぐれた。日本では専ら鶉の画家として喧伝された。本図は古くから李安忠と伝えられ宋画の写実を示す名品である。日本ではもう一幅の鶉図と対幅として鑑賞されてきた。本図は鶉の背景に枸杞が描かれており、もう一幅の鶉図は背景に菊が描かれている。鶉は鵪鶉とも書くが、その鵪は安と同音、菊は居に通ずることから「安居」を表わすものとなっている。また枸杞の実は壮陽剤すなわち若返りの霊薬といわれ「延寿」を寓意する。すなわち枸杞と菊とを描く一対の鶉図は「安居延年」の吉祥を寓意するものと考えられる。

 

『吉祥—中国絵画にこめられた意味』 東京国立博物館 1998

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秋草鶉図 酒井抱一

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 百千鳥狂歌合 喜多川歌麿

鶉 つふり光
うずらふのまだらまだらとくどけども栗の初穂のおちかぬる君
雲雀 銭屋金埓
大空におもひあがれるひばりさへゆふべは落ちるならひこそあれ