善知鳥 うとう

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能楽百番 善知鳥 月岡耕漁

善知鳥(うとう)

能楽の曲名。烏頭と書く流儀もある。

諸国一見の僧(ワキ)が陸奥の外の浜へ行く途中、越中立山に上り有名な地獄のさまを見て、山下に下ろうとすると一人の老人(前ジテ)が僧を呼びとめ、陸奥へ下るならば、外の浜の猟師で去年の秋に死んだ者の妻子を尋ねて、そこにある蓑笠を手向けてくれるよう伝言してくれといい、その証拠にと自分の着ている麻衣の片袖を切って渡す、僧はこれを受け取って陸奥外の浜へ下り、去年の秋に死んだ猟師の家を尋ね、猟師の妻(ツレ)や子(子方)に一部始終を語り片袖を見せる。妻は片袖を受け取って、夫が最期まで着ていた麻衣を取り出してみようとすると、はたしてその片袖がうせているので、夫が立山の地獄で呵責をうけていることを知り、僧の伝言に従って蓑笠を手向け、法事をしていると、猟師の亡霊(後ジテ)が現われ、わが子の姿を見て、これに近づこうとするが、横障の雲にへだてられ近づけない。この悲しみにつけても、娑婆で鳥獣を殺したことがくやまれるといって嘆き、またその罪業によって地獄に落ちて呵責を受けていることを語り、この苦しみを助けてくれといって消えうせるという筋。

 

『総合日本戯曲事典』平凡社 1964

 

 

謡曲の『善知鳥』は有名な曲である、此の鳥、母性愛深く、浜辺に産卵し、その卵の孵る頃、親なる鳥が『うとふ』と呼べば、雛は『やすかた』と答へて親を慕ふといふ伝説を骨子に、陸奥に下る僧が途中越立山に詣で、猟師の亡霊に出あひ外か浜に遺る妻子へと形見の簑笠と片袖を托され、やがてこれを妻子に届ける、妻子が念仏を唱へると猟師の霊が現はれ、生前鳥を殺した報いにより地獄の怪鳥に苦しめられる有様を語り僧の助けを求めるといふ節、元清の作でシテは猟師幽霊、ツレは妻、子方幼児、ワキ旅僧である。

「中に無慙やな此鳥の、「愚かなるかな筑波嶺の木々の梢にも羽を敷き、波の浮巣をもかけよかし、平砂に子を生みて落雁の、はかなや親は隠すとすれど、うとふと呼ばれて、子はやすかたと答へけり、扨てぞ取られやすかた、「うとふ、「親は空にて血の涙を、降らせば濡れじと菅簑や、空を傾けこゝかしこの、便を求めて隠笠隠簑にもあらざれば、猶降りかゝる血の涙に、目も紅に染み渡るは、紅葉の橋か鵲か。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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能楽図絵 善知鳥 月岡耕漁

善知鳥 うとう

康永元年(1342)奥書の『新撰歌枕名寄』には、「子を思ふなみだの雨の蓑の上にかかるもつらしやすかたの鳥」「子をおもふ涙の雨の血のふればはかなきものはうたふ安かた」とあり、ほぼこの説話の完全な成立を知らされる。謡曲成立とほぼ同時代の『藻塩草』には次のように記されており、謡曲後場の輪郭と同一である。

 

鳥取者ハ蓑笠をきてとる也。其故は、すなの中に子をうみてかくしたるを、母鳥のうとふかまねをして、うとふ/\とよへは、やすかたと□てはい出るを取と也。其時母空にかなたこなたへつれありきて、鳴涙雨のことくに、ちにてふる間、其涙かゝり、身のそんする故に、みのかさをきる也と云々。

 

『日本伝奇伝説大辞典』角川書店 1986