禹 う 禹王 うおう・うわう 大禹 たいう 夏禹 かう 夏伯 かはく 帝鑑図 ていかんず

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歴代君臣圖像 夏禹

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儒仙 帝舜・禹王

 禹 う

中国、夏王朝の始祖とされる人物。中国に大洪水が起こったとき、鯀の失敗の後を受けて、その子の禹が治水に成功し、その功によって帝舜から天子の位を譲られた、と『史記』夏本紀などは伝える。『尚書』(書経)禹貢篇には、禹が中国全土を9州に分け、それぞれの土地に適した貢納品を定めたという記事があるが、これは後世戦国時代ごろの状況を禹の時代に仮託したものであろう。堯から舜へ、舜から禹へと天子の位が禅譲されたという説話も、このころできあがったらしい。戦国初期の墨子は、家族を顧みず治水に奔走した禹の勤勉さや質素な生活態度に、深い敬意を払っており、現在でも中国各地に禹の治水伝説にまつわる場所が存在している。

 

日本大百科全書(ニッポニカ)

 

 

帝鑑図 ていかんず

中国,明代の政治家張居正の著書《帝鑑図説》12巻(1572∥隆慶6)にもとづいた人物画の画題。尭・舜以来の君王の治政の善の法とすべきもの81事,悪の戒めとすべき36事を選び,《蒙求(もうぎゆう)》の体に倣い,故事を四字句にまとめ,内容を述べ,1図を加えている。中国よりも日本で盛行し,権力と結んだ狩野派により取り上げられ,山楽や探幽により定型化が進んで障壁画に描かれた。

 

世界大百科事典 第2版 平凡社

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帝鑑図説 掲器求言(きをうってことをせむ)

掲器求言

夏の禹王(うわう)と申て御門(みかと)一人ましますがつねにおほしめされけるはわれ天下の君たりといへどもいまだ君たるみちをしらす又は仁義をおこなふ事あたはつあるひはよろづなすへき事のみちにおこたりあるひはわが身にうれいのきたらん事をかねてその儀をしらずあるひは人のざんそうにより又は身のなせるとがによりてろうしやせし人りひのしさいを申さんとてうつたへをなせしかばわれその理をあきらかにことわらざる事をおもふとかや然るにおいては四方の国をちこち人にいたるまてそのことばをつくして我をいさめたてまつれとおほせるこそことハりなりしかるに鐘鼓磬鐸鞀(しょうこけいたくたう)の此五つのなりものを門外にかけおかせ給ひての給ひけるにはしもしもばんみんにいたるまでこゝろあらんともがらはきたつて我にいさめをなしみちををしへんとおもひおもひなばすなはちこのつゞみをうてじんぎををしへんとならば鐘(かね)をうてまつりごとをおしへんとならば鐸(すず)をふるへうれいをつくる者はすなはちこの磬(きん)たゝけうつたへをせんとおもひなばきたつてこの鞀(たう)をうごかせさあらんにおゐてはわれそのこゑをきゝすなはちいでゝたいめんし事のしさいをきこしめさんと仰せけることのはゝたぐひなき事とかやそれ禹王は聖人にしてちえ第一人にすぐれりしかりといへども人のいさめをきこしめすはもしもてんかのまつりごとの一つもしらざる事あらめや又ばんみんのこゝろざしをすこしもふさくましきゆへなり故(かかるゆへ)に夏の代のさかんにはじまる事これぞ禹王のつとめなり

 

帝鑑図説

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帝鑑図説 下車泣罪(くるまをくだってつみになく)

下車泣罪

夏の禹王あるとき諸侯の国々をめぐらせ玉ふおりふし罪人をあまたひきぐしてみちのほとりをゆきしかば禹王御くるまのうちにして此由(よし)を御覧して御こゝろのうちにかれをあはれみまし/\てすなはち車よりおりさせたまひてざいにんのしさいはいかなる事ぞとゝはせ給ひていとゞふびんにおほしめしなんたをながさせ玉ふ御ともの人々此よしを見るよりもすなはち申けるにはそれざいにんはあくぎやくぶたうにしてよろつもののだうりをしらず然るときにはけいばつにおこなはん事これもつてしかるへし今我がきみなんのゆへにかかれをふびんにおぼしめし御なみたをながさせ給ふぞ禹王きこしめされて仰せけるにはむかし尭舜の天下をたもちましますときよく徳をもつて人をみちびきたまへり故に天下ばんみんにいたるまて尭舜の心をもつて我が心とし礼をまもり我がぶんざいをやすんじてひとりも法度をやぶるものなしまことに尭舜の代(よ)にはいさゝか罪人なかりけり今われ天下のきみといへども徳をもつて人をみちびく事あたはずこのゆへに天下ばんみんにいたるまてみづからがこゝろをもつてわか心とせり然るあひだ道理にしたがはずして法度をやぶりつみをおかすそれつみをおかすともがらはいやしきたみの事なれ共そのみなもとをたづぬればこれみづからが徳をおこなはさるゆへなり故にかれをかなしみいたむにあらずたゞみつからが徳の尭舜よりもおとる事をかなしむとのたまへり故にその徳日々にあきらかにして天下太平におさまる事申すもをろかなるとかや

 

帝鑑図説

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帝鑑図説 戒酒防徴(さけをいましめこらしめをふせぐ)

戒酒防徴

夏の禹王のとき儀狄(ぎてき)と申ものありしがよく酒をつくれりある時儀狄さけをさゝげて禹王にすゝめたてまつる禹王その酒をのみたまへばまことにかんろのあぢはひありてゑいをすゝむる事はなはだし故に禹王仰せけるには今よりして以後のものかやうのさけをほしひまゝみのむならばかならず国をほろほすべしとの給ひてつゐに儀狄をうとみとをくしりぞけまし/\て二たびげんざんしたまはざりしもことはりとこそきこえけりそれおもんみれば酒はもつて神射(しんしや)をまつり燕居にそなへて礼義のすたれざる所といへどもほしひまゝにのむ時は内にはやまひしやうじ外(ほか)にはまつりごとおこたりてかならずかならずらんげきのわざわひいたるへしこゝをもつて禹王ははじめをつゝしみおはりをおもんはかりかねていましめ給へりしかりといへとも禹王のしそん桀王(けつわう)のときにいたりて酒をもつていけとなしゑいくわにおごり給ふゆへつゐに夏の代をほろぼせりこれ祖宗のをしへをまもらさるゆへとかや

 

帝鑑図説

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竜と戦う大禹 北渓