桐壺 きりつぼ【源氏物語 第一帖】
源氏物語画帖 桐壺 土佐派
(第三章 光る源氏の物語 第三段 高麗人の観相、源姓賜わる)
そのころ高麗人の参れる中にかしこき相人ありけるを 聞こし召して宮の内に召さむことは宇多の帝の御誡めあればいみじう忍びてこの御子を鴻臚館に遣はしたり
(第三章 光る源氏の物語 第三段 高麗人の観相、源姓賜わる)
源氏物語絵詞 桐壺 土佐光信
この君の御童姿いと変へまうく思せど十二にて御元服したまふ
居起ち思しいとなみて限りある事に事を添へさせたまふ
(第三章 光る源氏の物語 第六段 源氏元服(十二歳))
源氏物語画帖
きりつぼ(桐壺)
源氏物語の首巻にして、全篇の発端なり。文中に「御局は桐壺なり」とあるを取りて名付しものなり。是れこの物語の主人公たる光源氏の生母「桐壺の更衣」の住みし局なり。此の巻は源氏の誕生より十二歳元服の事まであり、帝の寵愛浅からざる桐壺の更衣、玉の如き若宮(六条院後光源氏)さえ生みまつりていよいよ斜めならざりしに、権門の出なる弘徽殿の女御等に妬まれ、憂欝のあまり病氣となり、若宮三歳の時卒去せり、帝限りなく悲歎に暮れ給う。若宮十一歳の時、源氏の姓を賜わリ、十二歳にして元服して左大臣の女葵ノ上(十六歳)を娶る。夫れより以前先帝の四宮にして女御として入内あリし藤壺の女御の許に祗候せる事ともを記るせり。其光源氏といえるは高麗人の源氏を相せし折リに名付けし名なり。
《庭に桐の木が植えてあったところから》宮中五舎の一。平安京内裏の淑景舎(しげいしゃ)の別称。
源氏物語図屏風
(第三章 光る源氏の物語 第三段 高麗人の観相、源姓賜わる)
源氏物語図屏風 桐壺
(第三章 光る源氏の物語 第六段 源氏元服(十二歳))
源氏物語五十四帳 桐壺 広重
いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや
源氏香の図 桐壷 国貞改二代豊国
(第三章 光る源氏の物語 第六段 源氏元服(十二歳))
げんじ五十四まいのうち 第一番 げんじ桐壺 西村重長
いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや
見立源氏物語 桐壺 鈴木春信
夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわが背子その間にも見む
古今和歌六帖 第一帖(371)
夕闇は路たづたづし月待ちていませわが背子その間にも見む
豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子大宅女(をとめおほやけめ)
万葉集巻四(七〇九)
源氏物語 桐壺
第一章 光る源氏前史の物語
第二段 御子誕生(一歳)
前生 の縁が深かったか、またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。寵姫を母とした御子 を早く御覧になりたい思召 しから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子 を宮中へお招きになった。小皇子 はいかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。
源氏物語 桐壺
第二章 父帝悲秋の物語
第二段 靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)の弔問
野分 ふうに風が出て肌寒 の覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負 の命婦 という人を使いとしてお出しになった。夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。またそんな夜に詠 む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。
命婦は故大納言 家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那 からもう言いようのない寂しさが味わわれた。未亡人の家であるが、一人娘のために住居 の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、子を失った女主人 の無明 の日が続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。
「娘を死なせました母親がよくも生きていられたものというように、運命がただ恨めしゅうございますのに、こうしたお使いが荒 ら屋へおいでくださるとまたいっそう自分が恥ずかしくてなりません」
と言って、実際堪えられないだろうと思われるほど泣く。
源氏物語 桐壺
第二章 父帝悲秋の物語
第三段 命婦帰参
御所へ帰った命婦は、まだ宵 のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗 皇帝と楊貴妃 の恋を題材にした白楽天の長恨歌 を、亭子院 が絵にあそばして、伊勢 や貫之 に歌をお詠 ませになった巻き物で、そのほか日本文学でも、支那 のでも、愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを帝はお読みになった。帝は命婦にこまごまと大納言 家の様子をお聞きになった。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。未亡人の御返事を帝は御覧になる。
もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。こうした仰せを承りましても愚か者はただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。荒き風防ぎし蔭 の枯れしより小萩 が上ぞしづ心無き
というような、歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠 んでいるのであるからと寛大に御覧になった。
源氏物語 桐壺
第三章 光る源氏の物語
第三段 高麗人の観相、源姓賜わる
その時分に
高麗人 が来朝した中に、上手 な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院のお誡 めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁 の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館 へおやりになった。
相人は不審そうに頭 をたびたび傾けた。
「国の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」
と言った。
源氏物語 桐壺
第三章 光る源氏の物語
第六段 源氏元服(十二歳)
源氏の君の美しい
童形 をいつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、いよいよ十二の歳 に元服をおさせになることになった。その式の準備も何も帝御自身でお指図 になった。前に東宮の御元服の式を紫宸殿 であげられた時の派手 やかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴 の仕度 を内蔵寮 、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめたものにされた。
清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子 がすえられ、元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿 である。美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。帝は御息所 がこの式を見たならばと、昔をお思い出しになることによって堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。