夕顔 ゆうがお・ゆふがほ【源氏物語 第四帖】 半蔀 はじとみ・はしとみ
源氏物語画帖 夕顔 土佐派
(第一章 夕顔の物語 夏の物語 第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う)
源氏物語図屏風
(第一章 夕顔の物語 夏の物語 第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う)
夕顔
(第一章 夕顔の物語 夏の物語 第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う)
源氏物語画帖 夕顔
(第一章 夕顔の物語 夏の物語 第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う)
源氏物語図屏風 夕顔
(第一章 夕顔の物語 夏の物語 第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う)
源氏物語画帖
ゆふがほ(夕顔)
源氏物語の一節なり、光源氏の君の六條の御息所のほとりに通はれける時、五條の邊りに夕顔の花の美しく咲ける家あり、源氏御覧ありて何の花ぞと問はせ玉ひしに、その家の女白き扇にのせ之を捧げたり、その時源氏よりてこそそれかとも見めたそがれにほの/"\みつる花のゆふがほと詠ませられたり、是より夕顔の女のもとへしげ/\通はれけるに、八月十五夜月見にとて何某の院へ行き、その夜泊り玉ひしに、その翌十五日といふに、夕顔の女俄に病みて死したり、源氏歎きて、めのと惟光に申つけ、清水の邊にその死體をとりおき。間遣の右近といふに托してよきに葬りたりとなり、之を夕顔の巻の趣向となす
ゆうがお 夕顔
ウリ科の蔓性の一年草。茎が長く伸び、巻きひげで他に絡みつく。葉は浅く裂けた心臓形で互生する。夏の夕方、花びらが深く五つに裂けた白色の雄花と雌花とを開き、翌朝にはしぼむ。実が球状のマルユウガオと円筒状のナガユウガオとがある。主にマルユウガオから干瓢をつくる。アフリカ・熱帯アジアの原産で、日本では古くから栽培。《季 花=夏 実=秋》
源氏物語絵色紙帖 夕顔 詞飛鳥井雅胤 土佐光吉
中将の君御供に参る紫苑色の折にあひたる羅の裳鮮やかに引き結ひたる腰つきたをやかになまめきたり見返りたまひて隅の間の高欄にしばしひき据ゑたまへりうちとけたらぬもてなし髪の下がりばめざましくもと見たまふ
咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎ憂き今朝の朝顔
(第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語 第一段 霧深き朝帰りの物語)
源氏物語絵色紙帖 夕顔 詞青蓮院尊純 長次郎
咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎ憂き今朝の朝顔
いかがすべきとて手をとらへたまへればいと馴れてとく
朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて 花に心を止めぬとぞ見る
(第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語 第一段 霧深き朝帰りの物語)
源氏物語絵詞 夕顔 土佐光信
優婆塞が行ふ道をしるべにて 来む世も深き契り違ふな
(第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語 第二段 八月十五夜の逢瀬)
源氏物語画帖
(第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語 第二段 八月十五夜の逢瀬)
源氏物語五十四帳 夕顔 広重
源氏香の図 夕顔 国貞改豊国
見立夕顔 栄昌
見立夕顔 鈴木春信
月百姿 源氏夕顔巻 月岡芳年
能楽図絵 夕顔 月岡耕漁
夕顔(ゆうがお)
男山八幡参詣のために都へ上った僧(ワキ)が五条辺りで美しい女(シテ)に出逢う。女は僧に問われるままに、そこが河原の院であることや、この院で光源氏と愛を契った夕顔が哀れな死を遂げたこと(『源氏物語』夕顔)を語り、姿を消す(中入)。その夜、僧の仮寝の夢の中に、夕顔の亡霊(後シテ)が現われ、舞を舞い、僧の回向によって成仏できたことを喜び、夜明けとともに消え失せる。
能楽百番 半蔀 月岡耕漁
能楽図絵 半蔀 月岡耕漁
半蔀(はしとみ)
都、紫野雲林院の僧(ワキ)が、九十日にわたる夏の修行も終り近くなったので、この間に仏に供えた花々の供養を行なっていると、一人の女(シテ)が現われて花を捧げて消え失せる(中入)。それは、源氏と五条の夕顔の宿で、はかない契りを結び、某院で物の怪にとられ短い命を終えた夕顔の女であった。僧が五条辺りにおもむくと、半蔀を下ろした小さな家から夕顔の女の霊(後シテ)が現われ、源氏との楽しい恋の宿の思い出を語り舞い、夜明けとともに、また半蔀の中へ消えていく。内藤藤左衛門作(『能本作者註文』)
源氏物語 夕顔
第一章 夕顔の物語 夏の物語
第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う
惟光の家の隣に、新しい
檜垣 を外囲いにして、建物の前のほうは上げ格子 を四、五間ずっと上げ渡した高窓式になっていて、新しく白い簾 を掛け、そこからは若いきれいな感じのする額を並べて、何人かの女が外をのぞいている家があった。高い窓に顔が当たっているその人たちは非常に背の高いもののように思われてならない。どんな身分の者の集まっている所だろう。風変わりな家だと源氏には思われた。今日は車も簡素なのにして目だたせない用意がしてあって、前駆の者にも人払いの声を立てさせなかったから、源氏は自分のだれであるかに町の人も気はつくまいという気楽な心持ちで、その家を少し深くのぞこうとした。門の戸も蔀風 になっていて上げられてある下から家の全部が見えるほどの簡単なものである。哀れに思ったが、ただ仮の世の相であるから宮も藁屋 も同じことという歌が思われて、われわれの住居 だって一所 だとも思えた。端隠しのような物に青々とした蔓草 が勢いよくかかっていて、それの白い花だけがその辺で見る何よりもうれしそうな顔で笑っていた。そこに白く咲いているのは何の花かという歌を口ずさんでいると、中将の源氏につけられた近衛 の随身 が車の前に膝 をかがめて言った。
「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根 に咲くものでございます」
その言葉どおりで、貧しげな小家がちのこの通りのあちら、こちら、あるものは倒れそうになった家の軒などにもこの花が咲いていた。
源氏物語 夕顔
第一章 夕顔の物語 夏の物語
第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う
源氏が引き受けて、もっと
祈祷 を頼むことなどを命じてから、帰ろうとする時に惟光 に蝋燭 を点 させて、さっき夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物 の香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
散らし書きの字が上品に見えた。少し意外だった源氏は、風流遊戯をしかけた女性に好感を覚えた。惟光に、
「この隣の家にはだれが住んでいるのか、聞いたことがあるか」
と言うと、惟光は主人の例の好色癖が出てきたと思った。
「この五、六日母の家におりますが、病人の世話をしておりますので、隣のことはまだ聞いておりません」
惟光 が冷淡に答えると、源氏は、
「こんなことを聞いたのでおもしろく思わないんだね。でもこの扇が私の興味をひくのだ。この辺のことに詳しい人を呼んで聞いてごらん」
と言った。はいって行って隣の番人と逢って来た惟光は、
「地方庁の介 の名だけをいただいている人の家でございました。主人は田舎 へ行っているそうで、若い風流好きな細君がいて、女房勤めをしているその姉妹たちがよく出入りすると申します。詳しいことは下人 で、よくわからないのでございましょう」
と報告した。ではその女房をしているという女たちなのであろうと源氏は解釈して、いい気になって、物馴 れた戯れをしかけたものだと思い、下の品であろうが、自分を光源氏と見て詠 んだ歌をよこされたのに対して、何か言わねばならぬという気がした。というのは女性にはほだされやすい性格だからである。懐紙 に、別人のような字体で書いた。寄りてこそそれかとも見め黄昏 れにほのぼの見つる花の夕顔
花を折りに行った随身に持たせてやった。
源氏物語 夕顔
第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語
第一段 霧深き朝帰りの物語
霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、
睡 むそうなふうで歎息 をしながら源氏が出て行くのを、貴女の女房の中将が格子 を一間だけ上げて、女主人 に見送らせるために几帳 を横へ引いてしまった。それで貴女は頭を上げて外をながめていた。いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。非常に美しい。廊のほうへ行くのに中将が供をして行った。この時節にふさわしい淡紫 の薄物の裳 をきれいに結びつけた中将の腰つきが艶 であった。源氏は振り返って曲がり角 の高欄の所へしばらく中将を引き据 えた。なお主従の礼をくずさない態度も額髪 のかかりぎわのあざやかさもすぐれて優美な中将だった。「咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎうき今朝 の朝顔
どうすればいい」
こう言って源氏は女の手を取った。物馴 れたふうで、すぐに、朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞ見る
と言う。源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである。美しい童侍 の恰好 のよい姿をした子が、指貫 の袴 を露で濡 らしながら、草花の中へはいって行って朝顔の花を持って来たりもするのである、この秋の庭は絵にしたいほどの趣があった。
源氏物語 夕顔
第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語
第二段 八月十五夜の逢瀬
八月の十五夜であった。明るい月光が板屋根の
隙間 だらけの家の中へさし込んで、狭い家の中の物が源氏の目に珍しく見えた。もう夜明けに近い時刻なのであろう。近所の家々で貧しい男たちが目をさまして高声で話すのが聞こえた。
「ああ寒い。今年 こそもう商売のうまくいく自信が持てなくなった。地方廻りもできそうでないんだから心細いものだ。北隣さん、まあお聞きなさい」
などと言っているのである。哀れなその日その日の仕事のために起き出して、そろそろ労働を始める音なども近い所でするのを女は恥ずかしがっていた。気どった女であれば死ぬほどきまりの悪さを感じる場所に違いない。でも夕顔はおおようにしていた。人の恨めしさも、自分の悲しさも、体面の保たれぬきまり悪さも、できるだけ思ったとは見せまいとするふうで、自分自身は貴族の子らしく、娘らしくて、ひどい近所の会話の内容もわからぬようであるのが、恥じ入られたりするよりも感じがよかった。ごほごほと雷以上の恐 い音をさせる唐臼 なども、すぐ寝床のそばで鳴るように聞こえた。源氏もやかましいとこれは思った。けれどもこの貴公子も何から起こる音とは知らないのである。大きなたまらぬ音響のする何かだと思っていた。そのほかにもまだ多くの騒がしい雑音が聞こえた。白い麻布を打つ砧 のかすかな音もあちこちにした。空を行く雁 の声もした。秋の悲哀がしみじみと感じられる。庭に近い室であったから、横の引き戸を開けて二人で外をながめるのであった。小さい庭にしゃれた姿の竹が立っていて、草の上の露はこんなところのも二条の院の前栽 のに変わらずきらきらと光っている。虫もたくさん鳴いていた。壁の中で鳴くといわれて人間の居場所に最も近く鳴くものになっている蟋蟀 でさえも源氏は遠くの声だけしか聞いていなかったが、ここではどの虫も耳のそばへとまって鳴くような風変わりな情趣だと源氏が思うのも、夕顔を深く愛する心が何事も悪くは思わせないのであろう。
源氏物語 夕顔
第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語
第四段 夜半、もののけ現われる
蝋燭 の明りが来た。右近には立って行くだけの力がありそうもないので、閨 に近い几帳 を引き寄せてから、
「もっとこちらへ持って来い」
と源氏は言った。主君の寝室の中へはいるというまったくそんな不謹慎な行動をしたことがない滝口は座敷の上段になった所へもよう来ない。
「もっと近くへ持って来ないか。どんなことも場所によることだ」
灯 を近くへ取って見ると、この閨の枕の近くに源氏が夢で見たとおりの容貌 をした女が見えて、そしてすっと消えてしまった。昔の小説などにはこんなことも書いてあるが、実際にあるとはと思うと源氏は恐ろしくてならないが、恋人はどうなったかという不安が先に立って、自身がどうされるだろうかという恐れはそれほどなくて横へ寝て、
「ちょいと」
と言って不気味な眠りからさまさせようとするが、夕顔のからだは冷えはてていて、息はまったく絶えているのである。頼りにできる相談相手もない。坊様などはこんな時の力になるものであるがそんな人もむろんここにはいない。右近に対して強がって何かと言った源氏であったが、若いこの人は、恋人の死んだのを見ると分別も何もなくなって、じっと抱いて、
「あなた。生きてください。悲しい目を私に見せないで」
と言っていたが、恋人のからだはますます冷たくて、すでに人ではなく遺骸 であるという感じが強くなっていく。右近はもう恐怖心も消えて夕顔の死を知って非常に泣く。紫宸殿 に出て来た鬼は貞信公 を威嚇 したが、その人の威に押されて逃げた例などを思い出して、源氏はしいて強くなろうとした。
「それでもこのまま死んでしまうことはないだろう。夜というものは声を大きく響かせるから、そんなに泣かないで」
と源氏は右近に注意しながらも、恋人との歓会がたちまちにこうなったことを思うと呆然 となるばかりであった。
源氏物語 夕顔
第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語
第六段 十七日夜、夕顔の葬送
凄 い気のする所である。そんな所に住居 の板屋があって、横に御堂 が続いているのである。仏前の燈明の影がほのかに戸からすいて見えた。部屋 の中には一人の女の泣き声がして、その室の外と思われる所では、僧の二、三人が話しながら声を多く立てぬ念仏をしていた。近くにある東山の寺々の初夜の勤行 も終わったころで静かだった。清水 の方角にだけ灯 がたくさんに見えて多くの参詣 人の気配 も聞かれるのである。主人の尼の息子 の僧が尊い声で経を読むのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの涙がことごとく流れて出る気もした。中へはいって見ると、灯をあちら向きに置いて、遺骸との間に立てた屏風 のこちらに右近 は横になっていた。どんなに侘 しい気のすることだろうと源氏は同情して見た。遺骸はまだ恐ろしいという気のしない物であった。美しい顔をしていて、まだ生きていた時の可憐 さと少しも変わっていなかった。
「私にもう一度、せめて声だけでも聞かせてください。どんな前生の縁だったかわずかな間の関係であったが、私はあなたに傾倒した。それだのに私をこの世に捨てて置いて、こんな悲しい目をあなたは見せる」
もう泣き声も惜しまずはばからぬ源氏だった。僧たちもだれとはわからぬながら、死者に断ちがたい愛着を持つらしい男の出現を見て、皆涙をこぼした。
源氏物語 夕顔
第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語
第七段 忌み明ける
静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。庭の植え込みの草などがうら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。そしてもう少しずつ
紅葉 の色づいた絵のような景色 を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。五条の夕顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩 という鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった顔が今も可憐 に思い出されてならない。
「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位 様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のお亡 くなりになりましたあとで、平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」
「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明 で、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがに慎 ましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う」
源氏がこう言うと、
「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡 れになったことが残念で」
と右近は言いながら泣いていた。空は曇って冷ややかな風が通っていた。
寂しそうに見えた源氏は、見し人の煙を雲とながむれば夕 の空もむつまじきかな
と独言 のように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。源氏はうるさかった砧 の音を思い出してもその夜が恋しくて、「八月九月正長夜 、千声万声 無止時 」と歌っていた。