若紫 わかむらさき【源氏物語 第五帖】

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源氏物語画帖 若紫 土佐派

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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源氏物語 若紫

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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源氏物語図屏風

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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源氏物語絵色紙帖 若紫 詞青蓮院尊純 長次郎

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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源氏物語絵色紙帖 若紫 詞西洞院時直 土佐光吉

雀の子を犬君が逃がしつる伏籠のうちに籠めたりつるものをとていと口惜しと思へりこのゐたる大人例の心なしのかかるわざをしてさいなまるるこそいと心づきなけれ

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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若紫

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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若紫 土佐光信

生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

わかむらさき(若紫)

源氏物語の一巻なり、藤壺の后の姪にて、兵部卿の官の娘に紫の上といふがあり、幼くして母に後れ、北山なる祖母がもとにあり、然るに源氏十七歳の時瘧の病にかゝり、北山の信都の之をよくおとす法力ありと聞きて到りたるに、折からかの紫の上の祀母君も悩あり、加持いのりせんと紫の上件ひく是れへ来り、遂に源氏と初めて相見るなり、時に三月の晦口なり、己にして九月とぃふに、その祖母君果てしかば、源氏は十歳なる紫の上を引き取り二條の院西の第に置かるゝとなり、時に十月となす、その時源氏の歌に

手につみていつしかも見ん紫の 根にかよひける野邊の若草

 

『画題辞典』斎藤隆

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源氏若紫北山図(源氏物語絵巻残欠)

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京

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源氏物語図 若紫 海北友雪

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京

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源氏物語五十四帳 若紫 広重

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

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源氏香の図 若紫 国貞改豊国

手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草

第一章 紫上の物語 若紫の君登場 第三段 源氏、若紫の君を発見す

 

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源氏物語 若紫

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語

第一段 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く

 源氏は瘧病わらわやみにかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持かじも受けていたが効験ききめがなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、
「北山のなにがしという寺に非常に上手じょうず修験僧しゅげんそうがおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果ききめがなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますとなおりにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」
 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
「老体になっておりまして、岩窟がんくつを一歩出ることもむずかしいのですから」
 僧の返辞へんじはこんなだった。
「それではしかたがない、そっと微行しのびで行ってみよう」
 こう言っていた源氏は、親しい家司けいし四、五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を進んで行くにしたがって渓々たにだにをこめたかすみにも都の霞にない美があった。窮屈きゅうくつな境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何事も皆珍しくおもしろく思われた。修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を負った巌窟いわやの中に聖人しょうにんははいっていた。
 源氏は自身のだれであるかを言わず、服装をはじめ思い切って簡単にして来ているのであるが、迎えた僧は言った。
「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう。もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」
 驚きながらもえみを含んで源氏を見ていた。非常に偉い僧なのである。源氏を形どった物を作って、瘧病わらわやみをそれに移す祈祷きとうをした。加持かじなどをしている時分にはもう日が高く上っていた。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 若紫

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語

第三段 源氏、若紫の君を発見す

山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、夕方になって、この山が淡霞うすがすみに包まれてしまった時刻に、午前にながめた小柴垣こしばがきの所へまで源氏は行って見た。ほかの従者は寺へ帰して惟光これみつだけを供につれて、その山荘をのぞくとこの垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に持仏じぶつを置いてお勤めをする尼がいた。すだれを少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。室の中央の柱に近くすわって、脇息きょうそくの上に経巻を置いて、病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。四十ぐらいで、色は非常に白くて上品にせてはいるがほおのあたりはふっくりとして、目つきの美しいのとともに、短く切り捨ててある髪のすそのそろったのが、かえって長い髪よりもえんなものであるという感じを与えた。きれいな中年の女房が二人いて、そのほかにこの座敷を出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。その中に十歳とおぐらいに見えて、白の上に淡黄うすきの柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩のれ髪の裾が扇をひろげたようにたくさんでゆらゆらとしていた。顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。尼さんの横へ来て立つと、
「どうしたの、童女たちのことでおこっているの」
 こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、この人の子なのであろうと源氏は思った。
すずめの子を犬君いぬきが逃がしてしまいましたの、伏籠ふせごの中に置いて逃げないようにしてあったのに」
 たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、
「またいつもの粗相そそうやさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶれてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」
 と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言しょうなごん乳母めのとと他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日きょう明日あすかと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀をかごに入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
 と尼君は言って、また、
「ここへ」
 と言うと美しい子は下へすわった。顔つきが非常にかわいくて、まゆのほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫よこなでになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人おとなになった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壺ふじつぼの宮によく似ているからであると気がついた刹那せつなにも、その人への思慕の涙が熱くほおを伝わった。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 若紫

 

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源氏物語 若紫

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語

第四段 若紫の君の素性を聞く

 病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経どきょうの声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。初夜だと言ったが実際はその時刻よりもけていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配けはいで知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠じゅず脇息きょうそくに触れて鳴る音などがして、女の起居たちい衣摺きぬずれもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
 源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風びょうぶの合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行いざり寄って来た。襖子からかみから少し遠いところで、
「不思議なこと、聞き違えかしら」
 と言うのを聞いて、源氏が、
「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」
 という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
 と言った。
「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、

初草の若葉の上を見つるより旅寝のそでも露ぞかわかぬ


 と申し上げてくださいませんか」

「そのようなお言葉を頂戴ちょうだいあそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」
「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」
 源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。
 まあえんな方らしい御挨拶である、女王にょおうさんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、

まくら今宵こよひばかりの露けさを深山みやまこけにくらべざらなん


 とてもかわく間などはございませんのに」
 と返辞をさせた。

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語

第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京

 夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこでくとなしに多く聞こえてきた。都人みやこびとには名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山のにしきの上へ鹿しかが出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々かれがれな所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼だらにである。
 京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々くさぐさ作らせ、渓間たにまへまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応きょうおうに骨を折った。
「まだ今年じゅうは山籠やまごもりのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」
 などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。
「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、

宮人に行きて語らん山ざくら風よりさきに来ても見るべく」


 歌の発声も態度もみごとな源氏であった。僧都が、

優曇華うどんげの花まち得たるここちして深山みやま桜に目こそ移らね


 と言うと源氏は微笑しながら、
「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
 と言っていた。巌窟がんくつ聖人しょうにんは酒杯を得て、

奥山の松の戸ぼそをまれけてまだ見ぬ花の顔を見るかな


 と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏をまもる法のこめられてある独鈷どっこを献上した。それを見て僧都聖徳太子百済くだらの国からお得になった金剛子こんごうし数珠じゅずに宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃こんるりなどの宝石のつぼへ薬を詰めた幾個かをふじや桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語

第一段 夏四月の短夜の密通事件

 藤壺の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。みかどが日々恋しく思召おぼしめす御様子に源氏は同情しながらも、まれにしかないお実家さと住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所とのいどころででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、命婦おうみょうぶに手引きを迫ることのほかは何もしなかった。王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬おうせの中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまでかれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜がしいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。

見てもまたふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな


 涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、

世語りに人やつたへんたぐひなくき身をさめぬ夢になしても


 とお言いになった。宮が煩悶はんもんしておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語

第一段 紫の君、六条京極の邸に戻る

 秋の末になって、恋する源氏は心細さを人よりも深くしみじみと味わっていた。ある月夜にある女の所を訪ねる気にやっとなった源氏が出かけようとするとさっと時雨しぐれがした。源氏の行く所は六条の京極辺であったから、御所から出て来たのではやや遠い気がする。荒れた家の庭の木立ちが大家たいけらしく深いその土塀どべいの外を通る時に、例の傍去そばさらずの惟光が言った。
「これが前の按察使大納言の家でございます。先日ちょっとこの近くへ来ました時に寄ってみますと、あの尼さんからは、病気に弱ってしまっていまして、何も考えられませんという挨拶あいさつがありました」
「気の毒だね。見舞いに行くのだった。なぜその時にそう言ってくれなかったのだ。ちょっと私が訪問に来たがと言ってやれ」
 源氏がこう言うので惟光は従者の一人をやった。この訪問が目的で来たと最初言わせたので、そのあとでまた惟光がはいって行って、
「主人が自身でお見舞いにおいでになりました」
 と言った。大納言家では驚いた。
「困りましたね。近ごろは以前よりもずっと弱っていらっしゃるから、お逢いにはなれないでしょうが、お断わりするのはもったいないことですから」
 などと女房は言って、南向きの縁座敷をきれいにして源氏を迎えたのである。
「見苦しい所でございますが、せめて御厚志のお礼を申し上げませんではと存じまして、思召おぼしめしでもございませんでしょうが、こんな部屋へやなどにお通しいたしまして」
 という挨拶あいさつを家の者がした。そのとおりで、意外な所へ来ているという気が源氏にはした。
「いつも御訪問をしたく思っているのでしたが、私のお願いをとっぴなものか何かのようにこちらではお扱いになるので、きまりが悪かったのです。それで自然御病気もこんなに進んでいることを知りませんでした」
 と源氏が言った。
「私は病気であることが今では普通なようになっております。しかしもうこの命の終わりに近づきましたおりから、かたじけないお見舞いを受けました喜びを自分で申し上げません失礼をお許しくださいませ。あの話は今後もお忘れになりませんでしたら、もう少し年のゆきました時にお願いいたします。一人ぼっちになりますあの子に残る心が、私の参ります道のさわりになることかと思われます」
 取り次ぎの人に尼君が言いつけている言葉が隣室であったから、その心細そうな声も絶え絶え聞こえてくるのである。
「失礼なことでございます。孫がせめてお礼を申し上げる年になっておればよろしいのでございますのに」
 とも言う。源氏は哀れに思って聞いていた。
「今さらそんな御挨拶ごあいさつはなさらないでください。通り一遍な考えでしたなら、風変わりな酔狂者すいきょうものと誤解されるのも構わずに、こんな御相談は続けません。どんな前生の因縁でしょうか、女王さんをちょっとお見かけいたしました時から、女王さんのことをどうしても忘れられないようなことになりましたのも不思議なほどで、どうしてもこの世界だけのことでない、約束事としか思われません」
 などと源氏は言って、また、
「自分を理解していただけない点で私は苦しんでおります。あの小さい方が何か一言お言いになるのを伺えればと思うのですが」
 と望んだ。
「それは姫君は何もご存じなしに、もうおやすみになっていまして」
 女房がこんなふうに言っている時に、向こうからこの隣室へ来る足音がして、
「お祖母ばあ様、あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。なぜ御覧にならないの」
 と女王は言った。女房たちは困ってしまった。
「静かにあそばせよ」
 と言っていた。
「でも源氏の君を見たので病気がよくなったと言っていらしたからよ」
 自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。源氏はおもしろく思って聞いていたが、女房たちの困りきったふうが気の毒になって、聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。

 

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第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語

第二段 尼君死去し寂寥と孤独の日々

深く霧に曇った空もえんであって、大地には霜が白かった。ほんとうの恋の忍び歩きにも適した朝の風景であると思うと、源氏は少し物足りなかった。近ごろ隠れて通っている人の家が途中にあるのを思い出して、その門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。

朝ぼらけ霧立つ空の迷ひにも行き過ぎがたきいもが門かな


 二度繰り返させたのである。気のきいたふうをした下仕しもづかえの女中を出して、

立ちとまり霧のまがきの過ぎうくば草の戸ざしにさはりしもせじ


 と言わせた。女はすぐに門へはいってしまった。それきりだれも出て来ないので、帰ってしまうのも冷淡な気がしたが、夜がどんどん明けてきそうで、きまりの悪さに二条の院へ車を進めさせた。

 

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第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語

第三段 源氏、紫の君を盗み取る

女王は着物にくるまったままでまだ横になっていたのを源氏は無理に起こして、
「私に意地悪をしてはいけませんよ。薄情な男は決してこんなものじゃありませんよ。女は気持ちの柔らかなのがいいのですよ」
 もうこんなふうに教え始めた。姫君の顔は少し遠くから見ていた時よりもずっと美しかった。気に入るような話をしたり、おもしろい絵とか遊び事をする道具とかを東の対へ取りにやるとかして、源氏は女王の機嫌きげんを直させるのに骨を折った。やっと起きて喪服のやや濃いねずみの服の着古して柔らかになったのを着た姫君の顔にみが浮かぶようになると、源氏の顔にも自然笑みが上った。源氏が東の対へ行ったあとで姫君は寝室を出て、木立ちの美しい築山つきやまや池のほうなどを御簾みすの中からのぞくと、ちょうど霜枯れ時の庭の植え込みがいた絵のようによくて、平生見ることの少ない黒の正装をした四位や、赤を着た五位の官人がまじりまじりに出はいりしていた。源氏が言っていたようにほんとうにここはよい家であると女王は思った。屏風にかかれたおもしろい絵などを見てまわって、女王はたよりない今日の心の慰めにしているらしかった。
 源氏は二、三日御所へも出ずにこの人をなつけるのに一所懸命だった。手本帳にじさせるつもりの字や絵をいろいろに書いて見せたりしていた。皆美しかった。「知らねどもむさし野とへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」という歌の紫の紙に書かれたことによくできた一枚を手に持って姫君はながめていた。また少し小さい字で、

ねは見ねど哀れとぞ思ふ武蔵野むさしのの露分けわぶる草のゆかりを


 とも書いてある。
「あなたも書いてごらんなさい」
 と源氏が言うと、
「まだよくは書けませんの」
 見上げながら言う女王の顔が無邪気でかわいかったから、源氏は微笑をして言った。
「まずくても書かないのはよくない。教えてあげますよ」
 からだをすぼめるようにして字をかこうとする形も、筆の持ち方の子供らしいのもただかわいくばかり思われるのを、源氏は自分の心ながら不思議に思われた。
「書きそこねたわ」
 と言って、恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。

かこつべき故を知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらん


 子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、ふっくりとしたものだった。死んだ尼君の字にも似ていた。現代の手本を習わせたならもっとよくなるだろうと源氏は思った。ひななども屋根のある家などもたくさんに作らせて、若紫の女王と遊ぶことは源氏の物思いを紛らすのに最もよい方法のようだった。

 

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