末摘花 すえつむはな・すゑつむはな【源氏物語 第六帖】
源氏物語画帖 末摘花 土佐派
(第一章 末摘花の物語 第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く)
(第一章 末摘花の物語 第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く)
源氏物語絵色紙帖 末摘花 詞青蓮院尊純 長次郎
もろともに大内山は出でつれど入る方見せぬいさよひの月
と恨むるもねたけれどこの君と見たまふすこしをかしうなりぬ人の思ひよらぬことよと憎む憎む
里わかぬかげをば見れどゆく月のいるさの山を誰れか尋ぬる
(第一章 末摘花の物語 第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く)
源氏香の図 末摘花 国貞改豊国
(第一章 末摘花の物語 第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く)
すゑつむはな(末摘花)
源氏物語の内なり、常陸の宮と申す古宮坐ます、その宮の失せ玉ひし後は、一方の姫君残り坐にせしを、源氏聞き知りて、めのとの少将の命婦に道案内をさせ之に赴くに、姫君色白く鼻のさき少し赤しとなり、されど様子よく坐にせしかば、この後も通ひ玉ひ、後には二条院東の第に置き玉ひしとなり。源氏歌に「なつかしき色ともなしに何にこそ 末摘む花を袖にふれけん」
《花が茎の末の方から咲きはじめるのを順次摘み取るところから》ベニバナの別名
源氏物語図屏風 末摘花
(第一章 末摘花の物語 第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る)
源氏物語図屏風
(第一章 末摘花の物語 第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る)
源氏物語絵詞 末摘花 土佐光信
橘の木の埋もれたる御随身召して払はせたまふ
うらやみ顔に松の木のおのれ起きかへりて
さとこぼるる雪も名に立つ末のと見ゆる
(第一章 末摘花の物語 第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る)
末摘花
(第二章 若紫の物語 第一段 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる)
源氏物語 末摘花
第一章 末摘花の物語
第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く
源氏は言っていたように
十六夜 の月の朧 ろに霞 んだ夜に命婦を訪問した。
「困ります。こうした天気は決して音楽に適しませんのですもの」
「まあいいから御殿へ行って、ただ一声でいいからお弾 かせしてくれ。聞かれないで帰るのではあまりつまらないから」
と強 いて望まれて、この貴公子を取り散らした自身の部屋へ置いて行くことを済まなく思いながら、命婦が寝殿 へ行ってみると、まだ格子 をおろさないで梅の花のにおう庭を女王はながめていた。よいところであると命婦は心で思った。
「琴の声が聞かせていただけましたらと思うような夜分でございますから、部屋を出てまいりました。私はこちらへ寄せていただいていましても、いつも時間が少なくて、伺わせていただく間のないのが残念でなりません」
と言うと、
「あなたのような批評家がいては手が出せない。御所に出ている人などに聞いてもらえる芸なものですか」
こう言いながらも、すぐに女王が琴を持って来させるのを見ると、命婦がかえってはっとした。源氏の聞いていることを思うからである。女王はほのかな爪音 を立てて行った。源氏はおもしろく聞いていた。たいした深い芸ではないが、琴の音というものは他の楽器の持たない異国風な声であったから、聞きにくくは思わなかった。この邸 は非常に荒れているが、こんな寂しい所に女王の身分を持っていて、大事がられた時代の名残 もないような生活をするのでは、どんなに味気ないことが多かろう。昔の小説にもこんな背景の前によく佳人が現われてくるものだなどと源氏は思って今から交渉の端緒を作ろうかとも考えたが、ぶしつけに思われることが恥ずかしくて座を立ちかねていた。
源氏物語 末摘花
第一章 末摘花の物語
第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く
女暮らしの家の座敷の物音を聞きたいように思って源氏は静かに庭へ出たのである。大部分は朽ちてしまったあとの少し残った
透垣 のからだが隠せるほどの蔭 へ源氏が寄って行くと、そこに以前から立っていた男がある。だれであろう女王に恋をする好色男があるのだと思って、暗いほうへ隠れて立っていた。初めから庭にいたのは頭中将 なのである。今日 も夕方御所を同時に退出しながら、源氏が左大臣家へも行かず、二条の院へも帰らないで、妙に途中で別れて行ったのを見た中将が、不審を起こして、自身のほうにも行く家があったのを行かずに、源氏のあとについて来たのである。わざと貧弱な馬に乗って狩衣 姿をしていた中将に源氏は気づかなかったのであったが、こんな思いがけない邸 へはいったのがまた中将の不審を倍にして、立ち去ることができなかったころに、琴を弾く音 がしてきたので、それに心も惹 かれて庭に立ちながら、一方では源氏の出て来るのを待っていた。源氏はまだだれであるかに気がつかないで、顔を見られまいとして抜き足をして庭を離れようとする時にその男が近づいて来て言った。
「私をお撒 きになったのが恨めしくて、こうしてお送りしてきたのですよ。もろともに大内山は出 でつれど入る方見せぬいざよひの月」
さも秘密を見現わしたように得意になって言うのが腹だたしかったが、源氏は頭中将であったことに安心もされ、おかしくなりもした。
「そんな失敬なことをする者はあなたのほかにありませんよ」
憎らしがりながらまた言った。「里分かぬかげを見れども行く月のいるさの山を誰 かたづぬる
こんなふうに私が始終あなたについて歩いたらお困りになるでしょう、あなたはね」
「しかし、恋の成功はよい随身をつれて行くか行かないかで決まることもあるでしょう。これからはごいっしょにおつれください。お一人歩きは危険ですよ」
頭中将はこんなことを言った。
源氏物語 末摘花
第一章 末摘花の物語
第六段 その後、訪問なく秋が過ぎる
夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。行幸の日を楽しみにして、若い
公達 が集まるとその話が出る。舞曲の勉強をするのが仕事のようになっていたころであったから、どこの家でも楽器の音をさせているのである。左大臣の子息たちも、平生の楽器のほかの大篳篥 、尺八などの、大きいものから太い声をたてる物も混ぜて、大がかりの合奏の稽古 をしていた。太鼓までも高欄の所へころがしてきて、そうした役はせぬことになっている公達が自身でたたいたりもしていた。こんなことで源氏も毎日閑暇 がない。心から恋しい人の所へ行く時間を盗むことはできても、常陸の宮へ行ってよい時間はなくて九月が終わってしまった。
源氏物語 末摘花
第一章 末摘花の物語
第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る
車の通れる門はまだ
開 けてなかったので、供の者が鍵 を借りに行くと、非常な老人 の召使が出て来た。そのあとから、娘とも孫とも見える、子供と大人の間くらいの女が、着物は雪との対照であくまできたなく汚 れて見えるようなのを着て、寒そうに何か小さい物に火を入れて袖 の中で持ちながらついて来た。雪の中の門が老人の手で開 かぬのを見てその娘が助けた。なかなか開かない。源氏の供の者が手伝ったのではじめて扉が左右に開かれた。
源氏物語 末摘花
第一章 末摘花の物語
第九段 歳末に姫君から和歌と衣箱が届けられる
「常陸の宮から参ったのでございます」
こう言って命婦は手紙を出した。
「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」
こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。もう古くて厚ぼったくなった檀紙 に薫香 のにおいだけはよくつけてあった。ともかくも手紙の体 はなしているのである。歌もある。唐衣 君が心のつらければ袂 はかくぞそぼちつつのみ
何のことかと思っていると、おおげさな包みの衣裳箱 を命婦は前へ出した。
「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のお召 にというつもりでわざわざおつかわしになったようでございますから、お返しする勇気も私にございません。私の所へ置いておきましても先様の志を無視することになるでしょうから、とにかくお目にかけましてから処分をいたすことにしようと思うのでございます」
「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」
とは言ったが、もう戯談 も口から出なかった。それにしてもまずい歌である。これは自作に違いない、侍従がおれば筆を入れるところなのだが、そのほかには先生はないのだからと思うと、その人の歌作に苦心をする様子が想像されておかしくて、
「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」
と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は真赤 になっていた。臙脂 の我慢のできないようないやな色に出た直衣 で、裏も野暮 に濃い、思いきり下品なその端々が外から見えているのである。悪感を覚えた源氏が、女の手紙の上へ無駄 書きをするようにして書いているのを命婦が横目で見ていると、なつかしき色ともなしに何にこの末摘花 を袖 に触れけん
色濃き花と見しかども、とも読まれた。花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦は思い出して、源氏のいたずら書きをひどいと思いながらもしまいにはおかしくなった。