薄雲 うすぐも【源氏物語 第十九帖】

www.instagram.com

源氏物語画帖 薄雲 土佐派

(第一章 明石の物語 母子の雪の別れ 第四段 明石の母子の雪の別れ)

www.instagram.com

薄雲図 土佐光信

片言の声はいとうつくしうて袖をとらへて乗りたまへと引くもいみじうおぼえて

末遠き二葉の松に引き分かれいつか木高きかげを見るべき

(第一章 明石の物語 母子の雪の別れ 第四段 明石の母子の雪の別れ)

www.instagram.com

源氏物語絵色紙帖 薄雲 詞烏丸光賢 土佐光吉

漁りせし影忘られぬ篝火は身の浮舟や慕ひ来にけむ

(第五章 光る源氏の物語 第五段 源氏、大堰の明石を訪う)

うすぐも(薄雲)

源氏物語の一節なり。輝く日の宮藤壺と申せしを薄雲の女院というなり、冷泉院を産み玉うて、十一歳にて即位あり、随って藤壷の更衣も中宮より女院にはなりしなり、然るにいく程もなく三十七の三月というに世を去リ玉う、源氏の君嘆き深く

入日さす峯のたなびく薄雲にもの思ふ神の色にまがへる

とあり。

 

『画題辞典』斎藤隆

www.instagram.com

源氏物語画帖

www.instagram.com

げんじ五十四まいのうち 第十九番 げんじ薄雲 西村重長

入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる

www.instagram.com

源氏物語図屏風 俵屋宗達

 

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_a0007/bunko30_a0007_0019/bunko30_a0007_0019_p0008.jpg

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 明石の物語 母子の雪の別れ

第四段 明石の母子の雪の別れ

美しい顔をして前にすわっている子を見て源氏は、この子が間に生まれた明石と自分の因縁は並み並みのものではないと思った。今年から伸ばした髪がもう肩先にかかるほどになっていて、ゆらゆらとみごとであった。顔つき、目つきのはなやかな美しさも類のない幼女である。これを手放すことでどんなに苦悶くもんしていることかと思うと哀れで、一夜がかりで源氏は慰め明かした。
「いいえ、それでいいと思っております。私の生みましたという傷も隠されてしまいますほどにしてやっていただかれれば」
 と言いながらも、忍びきれずに泣く明石が哀れであった。姫君は無邪気に父君といっしょに車へ早く乗りたがった。車の寄せられてある所へ明石は自身で姫君を抱いて出た。片言の美しい声で、そでをとらえて母に乗ることを勧めるのが悲しかった。

末遠き二葉の松に引き分かれいつか木高きかげを見るべき


 とよくも言われないままで非常に明石は泣いた。こんなことも想像していたことである、心苦しいことをすることになったと源氏は歎息たんそくした。

めし根も深ければ武隈たけくまの松に小松の千代を並べん


 気を長くお待ちなさい」
 と慰めるほかはないのである。道理はよくわかっていて抑制しようとしても明石あかしの悲しさはどうしようもないのである。乳母めのとと少将という若い女房だけが従って行くのである。守り刀、天児あまがつなどを持って少将は車に乗った。女房車に若い女房や童女などをおおぜい乗せて見送りに出した。源氏は道々も明石の心を思って罪を作ることに知らず知らず自分はなったかとも思った。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 薄雲

 

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_a0007/bunko30_a0007_0019/bunko30_a0007_0019_p0012.jpg

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第二章 源氏の女君たちの物語 新春の女君たちの生活

第二段 源氏、大堰山荘訪問を思いつく

 山荘の人のことを絶えず思いやっている源氏は、公私の正月の用が片づいたころのある日、大井へ出かけようとして、ときめく心に装いを凝らしていた。桜の色の直衣のうしの下に美しい服を幾枚か重ねて、ひととおり薫物たきものきしめられたあとで、夫人へ出かけの言葉を源氏はかけに来た。明るい夕日の光に今日はいっそう美しく見えた。夫人は恨めしい心を抱きながら見送っているのであった。無邪気な姫君が源氏のすそにまつわってついて来る。御簾みすの外へも出そうになったので、立ち止まって源氏は哀れにわが子をながめていたが、なだめながら、「明日かへりこん」(桜人その船とどめ島つ田を十まち作れる見て帰りこんや、そよや明日帰りこんや)と口ずさんで縁側へ出て行くのを、女王にょおうは中から渡殿の口へ先まわりをさせて、中将という女房に言わせた。

船とむる遠方人をちかたびとのなくばこそ明日帰りこんせなとまち見め


 物れた調子で歌いかけたのである。源氏ははなやかな笑顔えがおをしながら、

行きて見て明日もさねこんなかなかに遠方人をちかたびとは心おくとも


 と言う。父母が何を言っているとも知らぬ姫君が、うれしそうに走りまわるのを見て夫人の「遠方人おちかたびと」を失敬だと思う心も緩和されていった。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 薄雲

 

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_a0007/bunko30_a0007_0019/bunko30_a0007_0019_p0020.jpg

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第三章 藤壺の物語 藤壺女院崩御

第四段 源氏、藤壺を哀悼

 源氏は二条の院の庭の桜を見ても、故院の花の宴の日のことが思われ、当時の中宮ちゅうぐうが思われた。「今年ばかりは」(墨染めに咲け)と口ずさまれるのであった。人が不審を起こすであろうことをはばかって、念誦ねんず堂に引きこもって終日源氏は泣いていた。はなやかに春の夕日がさして、はるかな山のいただきの立ち木の姿もあざやかに見える下を、薄く流れて行く雲がにび色であった。何一つも源氏の心をくものもないころであったが、これだけは身にんでながめられた。

入り日さす峯にたなびく薄雲は物思ふそでに色やまがへる


 これはだれも知らぬ源氏の歌である。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 薄雲