常夏 とこなつ【源氏物語 第二十六帖 玉鬘十帖の第五】

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源氏物語画帖 常夏 土佐派

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語 第一段 六条院釣殿の納涼

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源氏物語絵色紙帖 常夏 詞烏丸光廣 土佐光吉

いと暑き日東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ中将の君もさぶらひたまふ親しき殿上人あまたさぶらひて西川よりたてまつれる鮎近き川のいしぶしやうのもの御前にて調じて参らす

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語 第一段 六条院釣殿の納涼

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常夏 土佐光信

風はいとよく吹けども日のどかに曇りなき空の西日になるほど蝉の声などもいと苦しげに聞こゆれば水の上無徳なる今日の暑かはしさかな無礼の罪は許されなむやとて寄り臥したまへり

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語 第一段 六条院釣殿の納涼

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常夏

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源氏物語画帖 常夏

とこなつ(常夏)

野生の撫子の異名、花の盛り春から秋に亘るので斯く呼ぶ。(大言海

秋深く色うつりゆく野辺ながらなほとこ夏に見ゆるなでしこ(源順集)

また『源氏物語』一帖の名で、光源氏三十七歳の時のことを叙してゐる、夕顔の娘、玉蔓は西の対の庭に『瞿麦の色をとゝのひたる、唐の倭の架いとなつかしくゆひなして咲きみだれ』たるを愛してゐる、源氏はその花の盛なころ、玉蔓を訪ねる、帖の名は次の一節から取つてゐる。

人々ちかう侍へば、例の戯言もえ聞え給はで瞿麦をあかでこの人々のたち去りぬるかな、いかで大臣にもこの花園見せ奉らん、世もいと常なきをと思ふに、いにしへも物の序に語り出で給へりしも、只今のこととぞ覚ゆるとて少しの給へ出でたるにも、いとあはれなり。

なでしこのとこなつかしき色を見ばもとのかきねを人やたづねむ

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

 

 

ナデシコの名は、『出雲国風土記』(733)に、仁多郡の諸山野に生える薬用草木の一つとして初見する。続く『万葉集』では美の対象にされ、ナデシコの歌26首中8首に愛しい女性のおもかげを重ね、大和撫子の芽生えがうかがえるが、一方で、男性にも例えられている。また、9首はやど、播くなどの表現が伴い、野のナデシコを詠んだ4首よりも多く、当時すでによく栽培されていたことがわかる。さらに、大伴家持は「わがやどに播きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む」「大君の(略)なでしこをやどに播き生(お)ほし(略)」と、種子から育てたナデシコを詠む。これは日本で園芸植物を播種して育てた最初の記録である。『万葉集』には石竹の文字もみえるが、「向ひの野辺の石竹」と歌われているので、中国原産のセキチクとは考えにくく、まだ、日本のカワラナデシコセキチクの区別ははっきりされていない。平安時代には女流作家の清少納言紫式部和泉式部はいずれもカラナデシコセキチク)と、ヤマトナデシコカワラナデシコ)を見分けた。ナデシコの栽培品種が分化するのは江戸時代で、『花壇地錦抄(ちきんしょう)』(1695)はナデシコ10品種とセキチク7品種、ほかにカーネーション1品種と別種のフジナデシコをあげる。15年後の『増補地錦抄』はナデシコ14品種とセキチク3品種を追加した。松阪のイセナデシコも江戸時代に誕生している。[湯浅浩史]
 カワラナデシコは、山上憶良が「萩の花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝顔の花」(巻8)と秋の七草の一つとして詠んだように、早く『万葉集』から数多く詠まれている。「とこなつ(常夏)」ともよばれ、「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹と我が寝(ぬ)るとこなつの花」(『古今集』夏・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね))などと詠まれている。『源氏物語』では、「常夏」を妻や愛人、「撫子」を幼児の象徴として、それぞれ使い分けして用いている。季題は、「石竹」「常夏」が夏、「撫子」が秋。[小町谷照彦]

 

日本大百科全書(ニッポニカ)

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源氏物語図屏風

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源氏香の図 常夏 豊国

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風流略源氏 常夏 磯田湖龍斎

撫子のとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

第一段 六条院釣殿の納涼

 炎暑の日に源氏は東の釣殿つりどのへ出て涼んでいた。子息の中将が侍しているほかに、親しい殿上役人も数人席にいた。かつら川のあゆ加茂かも川の石臥いしぶしなどというような魚を見る前で調理させて賞味するのであったが、例のようにまた内大臣の子息たちが中将をたずねて来た。
「寂しく退屈な気がして眠かった時によくおいでになった」
 と源氏は言って酒を勧めた。氷の水、水飯すいはんなどを若い人は皆大騒ぎして食べた。風はよく吹き通すのであるが、晴れた空が西日になるころにはせみの声などからも苦しい熱がかれる気がするほど暑気が堪えがたくなった。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 常夏

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

第八段 内大臣、雲井雁を訪う

大臣は突然行って見たい気になって雲井の雁の居間をたずねた。少将も供をして行った。雲井の雁はちょうど昼寝をしていた。薄物の単衣ひとえを着て横たわっている姿からは暑い感じを受けなかった。可憐かれんな小柄な姫君である。薄物に透いて見えるはだの色がきれいであった。美しい手つきをして扇を持ちながらそのひじまくらにしていた。横にたまった髪はそれほど長くも、多くもないが、端のほうが感じよく美しく見えた。女房たちも几帳きちょうかげなどにはいって昼寝をしている時であったから、大臣の来たことをまだ姫君は知らない。扇を父が鳴らす音に何げなく上を見上げた顔つきが可憐で、ほおの赤くなっているのなども親の目には非常に美しいものに見られた。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 常夏

 

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絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第二章 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語

第二段 内大臣、近江君を訪う

 座敷の御簾みすをいっぱいに張り出すようにしてすそをおさえた中で、五節ごせちという生意気な若い女房と令嬢は双六すごろくを打っていた。
「しょうさい、しょうさい」
 と両手をすりすりさいく時の呪文じゅもんを早口に唱えているのに悪感おかんを覚えながらも大臣は従って来た人たちの人払いの声を手で制して、なおも妻戸の細目に開いたすきから、障子の向こうを大臣はのぞいていた。五節も蓮葉はすっぱらしく騒いでいた。
「御返報しますよ。御返報しますよ」
 賽の筒を手でひねりながらすぐには撒こうとしない。姫君の容貌は、ちょっと人好きのする愛嬌あいきょうのある顔で、髪もきれいであるが、額の狭いのと頓狂とんきょうな声とにそこなわれている女である。美人ではないがこの娘の顔に、鏡で知っている自身の顔と共通したもののあるのを見て、大臣は運にのろわれている気がした。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 常夏