野分 のわき・のわけ【源氏物語 第二十八帖 玉鬘十帖の第七】
源氏物語画帖 野分 土佐派
(第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語 第六段 夕霧、中宮を見舞う)
野分 土佐光信
廂の御座にゐたまへる人ものに紛るべくもあらず気高くきよらにさとにほふ心地して春の曙の霞の間よりおもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す
(第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語 第二段 夕霧、紫の上を垣間見る)
源氏物語絵色紙帖 野分 詞青蓮院尊純 土佐光吉
東の対の南の側に立ちて御前の方を見やりたまへば御格子まだ二間ばかり上げてほのかなる朝ぼらけのほどに御簾巻き上げて人びとゐたり高欄に押しかかりつつ若やかなる限りあまた見ゆうちとけたるはいかがあらむさやかならぬ明けぼののほど色々なる姿はいづれともなくをかし童女下ろさせたまひて虫の籠どもに露飼はせたまふなりけり紫苑撫子濃き薄き衵どもに女郎花の汗衫などやうの時にあひたるさまにて四五人連れてここかしこの草むらに寄りて色々の籠どもを持てさまよひ撫子などのいとあはれげなる枝ども取り持て参る霧のまよひはいと艶にぞ見えける
(第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語 第六段 夕霧、中宮を見舞う)
源氏物語図屏風
のわき(野分)
一。野分きは秋冬の頃吹き荒む暴風のことなり、野の草木を吹き分くるという意味よりかくはいうなり。
二。源氏物語の一章に野分あり、源氏の御子夕桐の大将未だ中将にて御坐すが、かの雲井の雁と詠みし姫君のこと深く心にかけ、野分の風のとふらひに妹明石の腹の姫君の元へ参り雲井のかたへ
風さわぐ村雲まよふ夕べにも わするゝまなくわすれぬは君
扨また源氏の君も野分の朝、風のとふらひとて明石の方ヘおはして早や早やと帰られしかば、明石のかた琴かきならし
おほかたに萩の葉すぐる風の音も 我身一つにしむ心地して
とめりしとなり。
源氏香の図 野分 豊国
風流略源氏 野分 磯田湖龍斎
野分 鈴木春信
第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語
第一段 八月野分の襲来
中宮 のお住居 の庭へ植えられた秋草は、今年はことさら種類が多くて、その中へ風流な黒木、赤木のませ垣 が所々に結 われ、朝露夕露の置き渡すころの優美な野の景色 を見ては、春の山も忘れるほどにおもしろかった。春秋の優劣を論じる人は昔から秋をよいとするほうの数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々はまたこのごろでは秋の讃美 者になっていた、世の中というもののように。
中宮はこれにお心が惹 かれてずっと御実家生活を続けておいでになるのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子の御忌月 であったから、それにはばかってお暮らしになるうちにますます草の花は盛りになった。今年の野分 の風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほどに吹き出した。草花のしおれるのを見てはそれほど自然に対する愛のあるのでもない浅はかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされて無惨 に乱れていく秋草を御覧になる宮は御病気にもおなりにならぬかと思われるほどの御心配をあそばされた。おおうばかりの袖 というものは春の桜によりも実際は秋空の前に必要なものかと思われた。日が暮れてゆくにしたがってしいたげられる草木の影は見えずに、風の音ばかりのつのってくるのも恐ろしかったが、格子なども皆おろしてしまったので宮はただ草の花を哀れにお思いになるよりほかしかたもおありにならなかった。
第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語
第六段 夕霧、中宮を見舞う
東の対の南側の縁に立って、中央の寝殿を見ると、格子が二間ほどだけ上げられて、まだほのかな朝ぼらけに
御簾 を巻き上げて女房たちが出ていた。高欄によりかかって庭を見ているのは若い女房ばかりであった。打ち解けた姿でこうしたふうに出ていたりすることはよろしくなくても、これは皆きれいにいろいろな上着に裳 までつけて、重なるようにしてすわりながらおおぜいで出ているので感じのよいことであった。中宮は童女を庭へおろして虫籠 に露を入れさせておいでになるのである。紫 色、撫子 色などの濃い色、淡い色の袙 に、女郎花 色の薄物の上着などの時節に合った物を着て、四、五人くらいずつ一かたまりになってあなたこなたの草むらへいろいろな籠を持って行き歩いていて、折れた撫子の哀れな枝なども取って来る。霧の中にそれらが見えるのである。お座敷の中を通って吹いて来る風は侍従香の匂 いを含んでいた。貴女 の世界の心憎さが豊かに覚えられるお住居 である。驚かすような気がして中将は出にくかったが、静かな音をたてて歩いて行くと、女房たちはきわだって驚いたふうも見せずに皆座敷の中へはいってしまった。