行幸・御幸 みゆき【源氏物語 第二十九帖 玉鬘十帖の第八】

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源氏物語画帖 行幸 土佐派

(第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸 第三段 行幸大原野に到着)

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行幸 土佐光信

雪深き小塩山にたつ雉の古き跡をも今日は尋ねよ

太政大臣のかかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ

(第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸 第三段 行幸大原野に到着)

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源氏物語絵色紙帖 御行 詞阿野寛顕 土佐光吉

蔵人の左衛門尉を御使にて雉一枝たてまつらせたまふ仰せ言には何とかやさやうの折のことまねぶにわづらはしくなむ

雪深き小塩山にたつ雉の古き跡をも今日は尋ねよ

太政大臣のかかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ大臣御使をかしこまりもてなさせたまふ

小塩山深雪積もれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ

(第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸 第三段 行幸大原野に到着)

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源氏物語画帖

みゆき(御幸)

一みゆきは行幸とも記す、天皇の皇居以外の地へ出でまし給ふことをいふなり。

源氏物語の一章に御幸の巻あり、十二月の比、冷泉院の大原野行幸のことを記す、冷泉院の歌に

きりふかき小鹽の山に立きしのふるき跡をも今日は尋ねよ

源氏御供にてありしが、

小鹽山みゆきつもれる松原にけふにかりなる跡やなからん

とありしなり。

 

『画題辞典』斎藤隆

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源氏物語図屏風

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風流略源氏 御幸 湖龍斎

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やつし源氏 御幸 湖龍斎

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雪中相合傘 鈴木春信

 

 絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸

第一段 大原野行幸

第二段 玉鬘、行幸を見物

 この十二月に洛西らくさい大原野行幸みゆきがあって、だれも皆お行列の見物に出た。六条院からも夫人がたが車で拝見に行った。みかどは午前六時に御出門になって、朱雀すざく大路から五条通りを西へ折れてお進みになった。道路は見物車でうずまるほどである。行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬ぐらを整えて、随身馬副男うまぞいおとこ背丈せたけまでもよりそろえ、装束に風流を尽くさせてあった。左右の大臣、内大臣、納言以下はことごとく供奉ぐぶしたのである。浅葱あさぎの色のほうに紅紫の下襲したがさねを殿上役人以下五位六位までも着ていた。時々少しずつの雪が空から散ってえんな趣を添えた。親王がた、高官たちもたか使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣かりぎぬを用意していた。左右の近衛このえ、左右の衛門えもん、左右の兵衛ひょうえに属した鷹匠たかじょうたちは大柄な、目だつ摺衣すりぎぬを着ていた。女の目には平生見れない見物事であったから、だれかれとなしに競って拝観をしようとしたが、貧弱にできた車などは群衆に輪をこわされて哀れな姿で立っていた。かつら川の船橋のほとりが最もよい拝観場所で、よい車がここには多かった。六条院の玉鬘たまかずらの姫君も見物に出ていた。きれいな身なりをして化粧をした朝臣あそんたちをたくさん見たが、のお上着を召した端麗な鳳輦ほうれんの中の御姿みすがたになぞらえることのできるような人はだれもない。玉鬘は人知れず父の大臣に注意を払ったが、うわさどおりにはなやかな貫禄かんろくのある盛りの男とは見えたが、それも絶対なりっぱさとはいえるものでなくて、だれよりも優秀な人臣と見えるだけである。きれいであるとか、美男だとかいって、若い女房たちがかげで大騒ぎをしている中将や少将、殿上役人のだれかれなどはまして目にもたたず無視せざるをえないのである。帝は源氏の大臣にそっくりなお顔であるが、思いなしか一段崇高な御美貌びぼうと拝されるのであった。でこれを人間世界の最もすぐれた美と申さねばならないのである。貴族の男は皆きれいなものであるように玉鬘は源氏や中将を始終見て考えていたのであるが、こんな正装の姿は平生よりも悪く見えるのか、多数の朝臣たちは同じ目鼻を持つ顔とも玉鬘には見えなかった。兵部卿ひょうぶきょうの宮もおいでになった。右大将は羽振りのよい重臣ではあるが今日の武官姿のえいを巻いて※(「竹かんむり/祿」、第3水準1-89-76)やなぐいを負った形などはきわめて優美に見えた。色が黒く、ひげの多い顔に玉鬘は好感を持てなかった。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 行幸

 

 絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第二章 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る

第六段 源氏、内大臣と対面

第七段 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去

「青年時代を考えてみますと、よくそうした無礼ができたものだと思いますほど親しくさせていただきまして、なんらの隔てもあなた様に持つことがありませんでした。公人といたしましてははねを並べるとお言いになりますような価値もない私を、ここまでお引き立てくださいました御好意を忘れるものでございませんが、多い年月の間には我知らずよろしくないことも多くいたしております」
 などと大臣は敬意を表しながら言っていた。この話の続きに源氏は玉鬘たまかずらのことを内大臣に告げたのであった。
「何たることでしょう。あまりにうれしい、不思議なお話を承ります」
 と大臣はひとしきり泣いた。
「ずっと昔ですが、その子の居所が知れなくなりましたことで、何のお話の時でしたか、あまりに悲しくてあなたにお話ししたこともある気がいたします。今日私もやっと人数ひとかずになってみますと、散らかっております子供が気になりまして、正直に拾い集めてみますと、またそれぞれ愛情が起こりまして、皆かわいく思われるのですが、私はいつもそうしていながら、あの子供を最も恋しく思い出されるのでした」
 この話から、昔の雨夜の話に、いろいろと抽象的に女の品定しなさだめをしたことも二人の間に思い出されて、泣きも笑いもされるのであった。深更になってからいよいよ二人の大臣は別れて帰ることになった。
「こうしてごいっしょになることがありますと、当然なことですが昔が思い出されて、恋しいことが胸をいっぱいにして、帰って行く気になれないのですよ」
 と言って、あまり泣かない人である源氏も、酔い泣きまじりにしめっぽいふうを見せた。大宮はあおい夫人のことをまた思い出しておいでになった。昔のはなやかさを幾倍したものともしれぬ源氏の勢いを御覧になって、故人が惜しまれてならないのでおありになった。しおしおとお泣きになった、尼様らしく。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 行幸