若菜(上) わかな【源氏物語 第三十四帖】
源氏物語画帖 若菜(上) 土佐派
(第五章 光る源氏の物語 第二段 源氏、玉鬘と対面)
若菜(上) 土佐光信
桜は避きてこそなどのたまひつつ宮の御前の方を後目に見れば例のことにをさまらぬけはひどもして色々こぼれ出でたる御簾のつま透影など春の手向けの幣袋にやとみゆ
(第十三章 女三の宮の物語 第六段 女三の宮たちも見物す)
源氏物語絵色紙帖 若菜上 詞菊亭季宣 土佐光吉
鞠に身を投ぐる若君達の花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて人びとあらはを ふともえ見つけぬなるべし
(第十三章 女三の宮の物語 第八段 柏木、女三の宮を垣間見る)
源氏物語画帖 若菜(上)
わかな(若菜)
源氏物語の一巻なり、玉曼の内侍、髪黒の大器の北の方となり、若君二方までようけ、日出度榮え王ふゝ比ほ正月二十三日子の日に、六條院へ子の日の硯たて参り玉ふ、内侍歌あり。
若葉さす野邊の小松を引つれてもとの岩根をいのる今日哉
これを上巻とす、下巻には十月二十日の比、源氏の住吉に参り玉ふことを叙ず、明石の中宮春宮の若宮儲け、御年五つにて春宙となる。是れ偏に住吉の神の御恵みとあり、紫の上、明石の上、母の尼、女御の官引つれての参詣なり。
① 春さきに萌え出る蔬菜(そさい)の類。摘んで、羹(あつもの)にしたり餠粥に入れたりなどして食べる。千代菜草。《季・新年》※万葉(8C後)一一・二八三八「河上に洗ふ若菜(わかな)の流れ来て妹があたりの瀬にこそ寄らめ」② 年頭の祝儀に用いる菜。公家の行事として、正月の初の子(ね)の日、七日の白馬(あおうま)の節会などにこの羹を食べるならわしがあった。※土左(935頃)承平五年一月七日「ことものども、長櫃にになひつづけておこせたり。わかなぞけふをばしらせたる」③ 正月七日に七種の菜を入れて作る餠粥。②の風習が民間行事化したもので、江戸時代には若菜の節(せち)として確立しており、この日は将軍以下すべてがこれを食し、年中の病災をはらい、無事息災を祝った。若菜粥。七草粥。《季・新年》※俳諧・犬子集(1633)一「源氏ならで上下にいはふ若菜哉〈親重〉」④ 年ごろのおとめのたとえ。※随筆・北里見聞録(1817)一「寐餠 津軽の売女也〈略〉年頃なる小女をさして若菜と云。寐餠に対していふか」
女三宮と猫 鈴木春信
女三宮と猫 鈴木春信
女三宮 清長
絵兄弟 見立女三の宮 喜多川歌麿
見立源氏物語若菜の上 春潮
吾妻源氏若菜之巻 豊国
風流やつし源氏 若菜巻上 栄之
第一章 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び
第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す
二十歳 に少し足らぬのであるが、すべてが整って美しいこの人に院の御目はとまって、じっと顔をおながめになりながら、どう処置すべきかと御煩悶 あそばされる姫宮を、この中納言に嫁 がせたならと人知れず思召 された。
第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
第二段 秋好中宮、櫛を贈る
中宮からも姫宮のお装束、
櫛 の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内 の時お贈りになった髪上 げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。中宮権亮 は院の殿上へも出仕する人であったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、次のようなお歌が中にあった。さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛 ぞ神さびにける
これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである。縁起が悪くもないであろうと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出にはお触れにならず、お悦 びの意味だけをお返事にあそばされて、さしつぎに見るものにもが万代 をつげの小櫛も神さぶるまで
とお書きになった。
第五章 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
第一段 玉鬘、源氏に若菜を献ず
第二段 源氏、玉鬘と対面
第三段 源氏、玉鬘と和歌を唱和
正月の二十三日は
子 の日であったが、左大将の夫人から若菜 の賀をささげたいという申し出があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそばされる間がなかったのであった。目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってすることであったから、玉鬘 夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。南の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである。屏風 も壁代 の幕も皆新しい物で装 らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に椅子 は立てなかった。地敷きの織物が四十枚敷かれ、褥 、脇息 など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣味のよさできれいに整えられてあった。螺鈿 の置き棚 二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置いて、夏冬の装束、香壺 、薬の箱、お硯 、洗髪器 、櫛 の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった。御挿頭 の台は沈 や紫檀 の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして派手 なものであった。玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸品を院のために新しく作りそろえたすぐれたものである。そのほかのことはきわだたせず質素に見せて実質のある賀宴をしたのであった。参列者を引見されるために客座敷へお出しになる時に玉鬘夫人と面会された。いろいろの過去の光景がお心に浮かんだことと思われる。院のお顔は若々しくおきれいで、四十の賀などは数え違いでないかと思われるほど艶 で、賀を奉る夫人の養父でおありになるとも思われないのを見て、何年かを中に置いてお目にかかる玉鬘 の尚侍 は恥ずかしく思いながらも以前どおりに親しいお話をした。尚侍の幼児がかわいい顔をしていた。玉鬘夫人は続いて生まれた子供などをお目にかけるのをはばかっていたが、良人 の左大将はこんな機会にでもお見せ申し上げておかねばお逢 わせすることもできないからと言って、兄弟はほとんど同じほどの大きさで振り分け髪に直衣 を着せられて来ていたのである。
「過ぎた年月のことというものは、自身の心には長い気などはしないもので、やはり昔のままの若々しい心が改められないのですが、こうした孫たちを見せてもらうことでにわかに恥ずかしいまでに年齢 を考えさせられます。中納言にも子供ができているはずなのだが、うとい者に私をしているのかまだ見せませんよ。あなたがだれよりも先に数えてくだすって年齢 の祝いをしてくださる子 の日も、少し恨めしくないことはない。もう少し老いは忘れていたいのですがね」
と、院は仰せられた。玉鬘もますますきれいになって、重味というようなものも添ってきてりっぱな貴婦人と見えた。若葉さす野辺 の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな
こう大人 びた御挨拶 をした。沈 の木の四つの折敷 に若菜を形式的にだけ少し盛って出した。院は杯をお取りになって、小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき
などとお歌いになった。
第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁
第六段 源氏、夢に紫の上を見る
恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて「春の夜の
闇 はあやなし梅の花」などとも古歌が思わず口に上りもした。院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながらなお「残れる雪」と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。
第七章 朧月夜の物語 こりずまの恋
第六段 源氏、和歌を詠み交して出る
朝ぼらけの艶な空からは小鳥の声がうららかに聞こえてきた。花は皆散った春の暮れで、浅緑にかすんだ庭の木立ちをおながめになって、この家で昔
藤花 の宴があったのはちょうどこのころのことであったと院はみずからお言いになったことから、昔と今の間の長いことも考えられ、青春の日が恋しく、現在のことが身に沁 んでお思われになった。中納言の君がお見送りをするために妻戸をあけてすわっている所へ、いったん外へおいでになった院が帰って来られて、
「この藤 と私は深い因縁のある気がする。どんなにこの花は私の心を惹 くか知っていますか。私はここを去って行くことができないよ」
こうお私語 になったままで、なお花をながめて立ち去ろうとはなされないのであった。山から出た日のはなやかな光が院のお姿にさして目もくらむほどお美しい。この昔にもまさった御風采 を長く見ることのできなかった尚侍が見て、心の動いていかないわけはないのである。過失のあったあとでは後宮に侍してはいても、表だった后 の位には上れない運命を負った自分のために、姉君の皇太后はどんなに御苦労をなすったことか、あの事件を起こして永久にぬぐえない悪名までも取るにいたった因縁の深い源氏の君であるなどとも尚侍は思っていた。名残 の尽きぬ会見はこれきりのことにさせたくないことではあるが、今日の六条院が恋の微行 などを続いて軽々しくあそばされるものでもないと思われた。院はこの邸 における人目も恐ろしく思召 されたし、日が昇 っていくのにせきたてられるお気持ちも覚えておいでになった。廊の戸口の下へ車が着けられて、供の人たちもひそかなお促し声もたてた。院は庭にいた者に長くしだれた藤の花を一枝お折らせになった。沈みしも忘れぬものを懲りずまに身も投げつべき宿の藤波
と歌いながら院はお悩ましいふうで戸口によりかかっておいでになるのを、中納言の君はお気の毒に思っていた。尚侍は再び作られた関係を恥じて思い乱れているのであったが、やはり恋しく思う心はどうすることもできないのである。身を投げん淵 もまことの淵ならで懸 けじやさらに懲りずまの波
と女は言った。
第九章 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
第三段 舞楽を演奏す
午後二時に楽人たちが参入した。万歳楽、
皇 などが舞われ、日の暮れ時に高麗 楽の乱声 があって、また続いて落蹲 の舞われたのも目馴 れず珍らしい見物であったが、終わりに近づいた時に、権中納言と、右衛門督 が出て短い舞をしたあとで紅葉 の中へはいって行ったのを陪観者は興味深く思った。
第十一章 明石の物語 入道の手紙
第三段 手紙の追伸
第四段 使者の話
尼君への手紙は細かなことは言わずに、ただ、
この月の十四日に今までの家を離れて深山 へはいります。つまらぬわが身を熊 狼 に施します。あなたはなお生きていて幸いの花の美しく咲く日におあいなさい。光明の中の世界でまた逢いましょう。と書かれただけのものであった。読んだあとで尼君は使いの僧に入道のことを聞いた。
「お手紙をお書きになりましてから三日めに庵 を結んでおかれました奥山へお移りになったのでございます。私どもはお見送りに山の麓 へまで参ったのですが、そこから皆をお帰しになりまして、あちらへは僧を一人と少年を一人だけお供にしてお行きになりました。御出家をなさいました時を悲しみの終わりかと思いましたが、悲しいことはそれで済まなかったのでございます。以前から仏勤めをなさいますひまひまに、お身体 を楽になさいましてはお弾 きになりました琴 と琵琶 を持ってよこさせになりまして、仏前でお暇乞 いにお弾きになりましたあとで、楽器を御堂 へ寄進されました。そのほかのいろいろな物も御堂へ御寄付なさいまして、余りの分をお弟子 の六十幾人、それは親しくお仕えした人数ですが、それへお分けになり、なお残りました分を京の御財産へおつけになりました。いっさいをこんなふうに清算なさいまして深山 の雲霞 の中に紛れておはいりになりましたあとのわれわれ弟子どもはどんなに悲しんでいるかしれません」
と播磨 の僧は言った。これも少年侍として京からついて行った者で、今は老法師で主に取り残された悲哀を顔に見せている。仏の御弟子で堅い信仰を持ちながらこの人さえ主を失った歎 きから脱しうることができないのであるから、まして尼君の歎きは並み並みのことでなかった。
第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る
第六段 女三の宮たちも見物す
第七段 唐猫、御簾を引き開ける
第八段 柏木、女三の宮を垣間見る
雪のような落花が散りかかるのを見上げて、
萎 れた枝を少し手に折った大将は、階段 の中ほどへすわって休息をした。衛門督が続いて休みに来ながら、
「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着きのない若い女房たちが、あちらこちらの御簾 のきわによって、透き影に見えるのも、端のほうから見えるのも皆その人たちの派手 な色の褄袖口 ばかりであった。暮れゆく春への手向けの幣 の袋かと見える。几帳 などは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配 があまりにもよく外へ知れるのである。
支那 産の猫 の小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾 の下から出ようとする時、猫の勢いに怖 れて横へ寄り、後ろへ退 こうとする女房の衣 ずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につながれていて、その綱が几帳の裾 などにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするために、御簾の横があらわに斜 に上がったのを、すぐに直そうとする人がない。そこの柱の所にいた女房などもただあわてるだけでおじけ上がっている。几帳より少し奥の所に袿姿 で立っている人があった。階段のある正面から一つ西になった間 の東の端であったから、あらわにその人の姿は外から見られた。紅梅襲 なのか、濃い色と淡 い色をたくさん重ねて着たのがはなやかで、着物の裾は草紙の重なった端のように見えた。桜の色の厚織物の細長らしいものを表着 にしていた。裾まであざやかに黒い髪の毛は糸をよって掛けたようになびいて、その裾のきれいに切りそろえられてあるのが美しい。身丈に七、八寸余った長さである。着物の裾の重なりばかりが量 高くて、その人は小柄なほっそりとした人らしい。この姿も髪のかかった横顔も非常に上品な美人であった。夕明りで見るのであるからこまごまとした所はわからなくて、後ろにはもう闇 が続いているようなのが飽き足らず思われた。鞠 に夢中でいる若公達 が桜の散るのにも頓着 していぬふうな庭を見ることに身が入って、女房たちはまだ端の上がった御簾に気がつかないらしい。猫のあまりに鳴く声を聞いて、その人の見返った顔に余裕のある気持ちの見える佳人であるのを、衛門督は庭にいて発見したのである。