橋姫 はしひめ【源氏物語 第四十五帖 宇治十帖の第一帖】
源氏物語画帖 橋姫 土佐派
(第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る 第三段 薫、姉妹を垣間見る)
橋姫 土佐光信
琵琶を前に置きて撥を手まさぐりにしつつゐたるに雲隠れたりつる月のにはかにいと明くさし出でたれば扇ならでこれしても月は招きつべかりけりとてさしのぞきたる顔いみじくらうたげに匂ひやかなるべし
(第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る 第三段 薫、姉妹を垣間見る)
源氏物語絵色紙帖 橋姫 詞四辻季繼 土佐光吉
雲隠れたりつる月のにはかにいと明くさし出でたれば扇ならでこれしても月は招きつべかりけりとてさしのぞきたる顔いみじくらうたげに匂ひやかなるべし
(第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る 第三段 薫、姉妹を垣間見る)
源氏物語絵巻 橋姫
はしひめ(橋姫)
源氏物語の内なり。桐壺のみかどの御子源氏の弟に八の宮といふが坐はす。朱雀院の御母この宮を御位に立てんと思ひしを、遂に叶はず。冷泉院帝位に昇り玉ふ。それが為めに八の宮は八条の御殿に坐せしも火に焼けて後御落命あり。宇治の山里に引き込み住はる。されば宇治の宮とも申しぬ。此宮に美しき二人の姫宮あり。宇治の宮諸道にも暗からざりしことゝて、薫の大将も之れへ物習ひに通ひ玉ひけるが、かの美しき姫を御覧じて、
橋姫の心をくみて高瀬さすさをの雫に袖ぞぬれぬる
と詠み玉ふ。その後ともに薫大将宇治に通ふ道すがらも姫のことを忘れやらず、或時山路の露冷かなるを分けて行く馬上の詠に
山おろしたえぬ木の葉の露よりもあやなくもろき我なみが哉
やがて宮のかたへ至りつるに、宮には宇治の奥の阿閣梨がもとに到りし留守にて姫達琴など遊ばし居玉ひり。此君逹の後見せるは弁の君といふ女房にて、薫が真の親の柏木がめのとなりしを西国に下り更に都に上り来りて今此に在るなり。薫即ち弁の君に忍びて対面あり。昔語りなどありしとなり。之を橋姫の趣向とす。
源氏物語 橋姫
第一章 宇治八の宮の物語 隠遁者八の宮
第四段 ある春の日の生活
念誦 をあそばすひまひまは姫君たちの相手におなりになって、もうだいぶ大きくなった二女王に琴の稽古 をおさせになったり、碁を打たせたり、詩の中の漢字の偏を付け比べる遊戯をおさせになったりしてごらんになるのであるが、第一女王は品よく奥深さのある容貌 を備え、第二の姫君はおおようで、可憐 な姿をして、そして内気に恥ずかしがるふうのあるのもとりどりの美しさであった。春のうららかな日のもとで池の水鳥が羽を並べて游泳 をしながらそれぞれにさえずる声なども、常は無関心に見もし、聞きもしておいでになる心に、ふと番 いの離れぬうらやましさをお感じさせる庭をながめながら、女王たちに宮は琴を教えておいでになった。小さい美しい恰好 でそれぞれの楽器を熱心に鳴らす音もおもしろく聞かれるために、宮は涙を目にお浮かべになりながら、「打ち捨ててつがひ去りにし水鳥のかりのこの世に立ち後 れけん
悲しい運命を負っているものだ」
とお言いになり、その涙をおぬぐいになった。御容貌のお美しい親王である。長い精進の御生活にやせきっておいでになるが、そのためにまたいっそう艶 なお姿にもお見えになった。姫君たちとおいでになる時は礼儀をおくずしにならずに、古くなった直衣 を上に着ておいでになる御様子も貴人らしかった。大姫君が硯 を静かに自身のほうへ引き寄せて、手習いのように硯石の上へ字を書いているのを、宮は御覧になって、
「これにお書きなさい。硯へ字を書くものでありませんよ」
と、紙をお渡しになると、女王は恥ずかしそうに書く。いかでかく巣立ちけるぞと思ふにもうき水鳥の契りをぞ知る
よい歌ではないがその時は身に沁 んで思われた。未来のあるいい字ではあるがまだよく続けては書けないのである。
「若君もお書きなさい」
とお言いになると、これはもう少し幼い字で、長くかかって書いた。泣く泣くも羽うち被 する君なくばわれぞ巣守 りになるべかりける
もう着ふるした衣服を着ていて、この場に女房たちの侍しているのもない、可憐 な美しい姉妹 を寂しい家の中に御覧になる父宮が心苦しく思召さないわけもない。経巻を片手にお持ちになって御覧になり、宮は琴に合わせて歌をうたっておいでになった。
源氏物語 橋姫
第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
第二段 宿直人、薫を招き入れる
第三段 薫、姉妹を垣間見る
「案内を頼む。私は好色漢では決してないから安心するがよい。そうしてお二人で音楽を楽しんでおいでになるところがただ拝見したくてならぬだけなのだよ」
親しげに頼むと、
「それはとてもたいへんなことでございます。あとになりまして私がどんなに悪く言われることかしれません」
と言いながらも、その座敷とこちらの庭の間に透垣 がしてあることを言って、そこの垣へ寄って見ることを教えた。薫の供に来た人たちは西の廊 の一室へ皆通してこの侍が接待をするのだった。
月が美しい程度に霧をきている空をながめるために、簾 を短く巻き上げて人々はいた。薄着で寒そうな姿をした童女が一人と、それと同じような恰好 をした女房とが見える。座敷の中の一人は柱を少し楯 のようにしてすわっているが、琵琶を前へ置き、撥 を手でもてあそんでいた。この人は雲間から出てにわかに明るい月の光のさし込んで来た時に、
「扇でなくて、これでも月は招いてもいいのですね」
と言って空をのぞいた顔は、非常に可憐 で美しいものらしかった。横になっていたほうの人は、上半身を琴の上へ傾けて、
「入り日を呼ぶ撥はあっても、月をそれでお招きになろうなどとは、だれも思わないお考えですわね」
と言って笑った。この人のほうに貴女 らしい美は多いようであった。
「でも、これだって月には縁があるのですもの」
こんな冗談 を言い合っている二人の姫君は、薫がほかで想像していたのとは違って非常に感じのよい柔らかみの多い麗人であった。女房などの愛読している昔の小説には必ずこうした佳人のことが出てくるのを、いつも不自然な作り事であると反感を持ったものであるが、事実として意外な所に意外なすぐれた女性の存在することを知ったと思うのであった。
若い人は動揺せずにあられようはずもない。
源氏物語 橋姫
第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
第七段 薫、大君と和歌を詠み交して帰京
薫は姫君たちの心持ちを思いやって同情の念がしきりに動くのだった。二人とも引っ込みがちに内気なふうになるのも道理であるなどと思われた。
「朝ぼらけ家路も見えず尋ねこし槙 の尾山は霧こめてけり
心細いことです」
と言って、またもとの席に帰って、川霧をながめている薫は、優雅な姿として都人の中にも定評のある人なのであるから、まして山荘の人たちの目はどれほど驚かされたかもしれない。
だれも皆恥じて取り次ぐことのできないふうであるのを見て、大姫君がまたつつましいふうで自身で言った。雲のゐる峰のかけぢを秋霧のいとど隔つる頃 にもあるかな
そのあとで歎息 するらしい息づかいの聞こえるのも非常に哀れであった。若い男の感情を刺激するような美しいものなどは何もない山荘ではあるが、こうした心苦しさから辞し去ることが躊躇 される薫であった。しかも明るくなっていくことは恐ろしくて、
「お近づきしてかえってまた飽き足りません感を与えられましたが、もう少しおなじみになりましてからお恨みも申し上げることにしましょう。お恨みというのは形式どおりなお取り扱いを受けましたことで、誠意がわかっていただけなかったことです」
こんな言葉を残したままあちらへ行った。そして宿直 の侍が用意してあった西向きの座敷のほうで休息した。
源氏物語 橋姫
第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
第七段 薫、大君と和歌を詠み交して帰京
「
網代 に人がたくさん寄っているようだが、しかも氷魚 は寄らないようじゃないか、だれの顔も寂しそうだ」
などと、たびたび供に来てこの辺のことがよくわかるようになっている薫の供の者は庭先で言っている。貧弱な船に刈った柴 を積んで川のあちらこちらを行く者もあった。だれも世を渡る仕事の楽でなさが水の上にさえ見えて哀れである。自分だけは不安なく玉の台 に永住することのできるようにきめてしまうことは不可能な人生であるなどと薫は考えるのであった。薫は硯 を借りて奥へ消息を書いた。橋姫の心を汲 みて高瀬さす棹 の雫 に袖 ぞ濡 れぬる寂しいながめばかりをしておいでになるのでしょう。そしてこれを侍に持たせてやった。その男は寒そうに
鳥肌 になった顔で、女王の居間のほうへ客の手紙を届けに来た。返事を書く紙は香の焚 きこめたものでなければと思いながら、それよりもまず早くせねばと、さしかへる宇治の川長 朝夕の雫や袖をくたしはつらん身も浮かぶほどの涙でございます。大姫君は美しい字でこう書いた。こんなことも皆ととのった人であると薫は思い、心が多く残るのであったが、
「お車が京からまいりました」
と言って、供の者が促し立てるので、薫は侍を呼んで、
「宮様がお帰りになりますころにまた必ずまいります」
などと言っていた。濡れた衣服は皆この侍に与えてしまった。そして取り寄せた直衣 に薫は着がえたのであった。
源氏物語 橋姫
第四章 薫の物語 薫、出生の秘密を知る
第四段 薫、父柏木の最期を聞く
第五段 薫、形見の手紙を得る
弁が長話をしている間に、この前のように夜が明けはなれてしまった。
「この昔話はいくら聞いても聞きたりないほど聞いていたく思うことですが、だれも聞かない所でまたよく話し合いましょう。侍従といった人は、ほのかな記憶によると、私の五、六歳の時ににわかに胸を苦しがりだして死んだと聞いたようですよ。あなたに逢うことができなかったら、私は肉親を肉親とも知らない罪の深い人間で一生を終わることでした」
などと薫は言った。小さく巻き合わせた手紙の反古 の黴 臭いのを袋に縫い入れたものを弁は薫に渡した。
「あなた様のお手で御処分くださいませ。もう自分は生きられなくなったと大納言様は仰せになりまして、このお手紙を集めて私へくださいましたから、私は小侍従に逢いました節に、そちら様へ届きますように、確かに手渡しをいたそうと思っておりましたのに、そのまま小侍従に逢われないでしまいましたことも、私情だけでなく、大納言のお心の通らなかったことになりますことで私は悲しんでおりました」
弁はこう言うのであった。薫はなにげなくその包を袖 の中へしまった。こうした老人は問わず語りに、不思議な事件として自分の出生の初めを人にもらすことはなかったであろうかと、薫は苦しい気持ちも覚えるのであったが、かえすがえす秘密を厳守したことを言っているのであるから、それが真実であるかもしれぬと慰められないでもなかった。