椎本 しいがもと・しひがもと【源氏物語 第四十六帖 宇治十帖の第二帖】
源氏物語画帖 椎本 土佐派
(第一章 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る 第三段 薫、迎えに八の宮邸に来る)
源氏物語絵色紙帖 椎本 詞久我敦通 土佐光吉
阿闍梨の室より炭などやうのものたてまつるとて年ごろにならひはべりにける宮仕への今とて絶えはつらむが 心細さになむと聞こえたりかならず冬籠もる山風ふせぎつべき綿衣など遣はししを思し出でてやりたまふ
(第四章 宇治の姉妹の物語 第一段 歳末の宇治の姫君たち)
椎本 土佐光信
立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本空しき床になりにけるかな
(第四章 宇治の姉妹の物語 第五段 薫、人びとを励まして帰京)
しいがもと(椎本)
『源氏物語』五十四帖の一、うばそくの宮が病に臥してから、秋となると漸く重りゆく、四季の念仏の為めに山へ入らうと、その旨姫達にも諮つてゐる処へ、薫大将が尋ねて来たのであとに残る姫達のことなど、それとなしに頼んで空しくなる、薫大将は、うばそくの宮が三十余年過した住居のあれたのを見て深き感慨にしづむ、巻の名は
世の中に頼むよるべも侍らぬ身にて、一所の御かげに隠れて、三十余年を過し侍りにければ、今はまして野山にまじり侍らんもいかなる木の本をかはたのむべく侍らんと申して、いとゞ人わろげなり、おはしましゝ方あけさせ給へれば、塵いたう積りて、仏のみぞ、花のかざり衰へず、行ひ給ひけりと見ゆる、御床など取りやりて、かき払ひたり、本意をも遂げばと、契り聞えしこと思ひ出でて
立ちよらんかげとたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな
から来てゐる。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
源氏物語 椎本
第一章 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る
第二段 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す
第三段 薫、迎えに八の宮邸に来る
薫はこの機会もはずさず八の宮邸へまいりたく思うのであったが、多数の人の見る前で、自分だけが船を出してそちらへ行くのは軽率に見られはせぬかと
躊躇 している時に八の宮からお使いが来た。お手紙は薫へあったのである。山風に霞 吹き解く声はあれど隔てて見ゆる遠 の白波
漢字のくずし字が美しく書かれてあった。兵部卿の宮は、少なからぬ関心を持っておいでになる所からのおたよりとお知りになり、うれしく思召して、
「このお返事は私から出そう」
とお言いになって、次の歌をお書きになった。遠近 の汀 の波は隔つともなほ吹き通へ宇治の川風
薫は自身でまいることにした。音楽好きな公達 を誘って同船して行ったのであった。船の上では「酣酔楽 」が奏された。
河に臨んだ廊の縁から流れの水面に向かってかかっている橋の形などはきわめて風雅で、宮の洗練された御趣味もうかがわれるものであった。
源氏物語 椎本
第二章 薫の物語 秋、八の宮死去す
第五段 八月二十日、八の宮、山寺で死去
これは八月の二十日ごろのことであった。深くものが身にしむ時節でもあって、姫君がたの心には朝霧夕霧の晴れ間もなく
歎 きが続いた。有り明けの月が派手 に光を放って、宇治川の水の鮮明に澄んで見えるころ、そちらに向いて揚げ戸を上げさせて、二人は外の景色 にながめ入っていると、鐘の声がかすかに響いてきた。夜が明けたのであると思っているところへ、寺から人が来て、
「宮様はこの夜中ごろにお薨 れになりました」
と泣く泣く伝えた。その一つの報 らせが次の瞬間にはあるのでないかと、気にしない間もなかったのであったが、いよいよそれを聞く身になった姫君たちは失心したようになった。あまりに悲しい時は涙がどこかへ行くものらしい。二人の女王 は何も言わずに俯伏 しになっていた。父君の死というものも日々枕頭 にいて看護してきたあとに至ったことであれば、世の習いとしてあきらめようもあるのであろうが、病中にお逢いもできなかったままでこうなったことを姫君らの歎くのももっともである。しばらくでも父君に別れたあとに生きているのを肯定しない心を二人とも持っていて、自分も死なねばならぬと泣き沈んでいるが、命は失った人にも、失おうとする人にも、左右する自由はないものであるからしかたがない。
源氏物語 椎本
第三章 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち
第二段 匂宮からの弔問の手紙
第三段 匂宮の使者、帰邸
夕方に来た使いが、
「もう十時がだいぶ過ぎてまいりました。今夜のうちに帰れるでしょうか」
と言っていると聞いて、今夜は泊まってゆくようにと言わせたが、
「いえ、どうしても今晩のうちにお返事をお渡し申し上げませんでは」
と急ぐのがかわいそうで、大姫君は自分は悲しみから超越しているというふうを見せるためでなく、ただ中の君が書きかねているのに同情して、涙のみきりふさがれる山里は籬 に鹿 ぞもろ声に鳴く
という返事を、黒い紙の上の夜の墨の跡はよくも見分けられないのであるが、それを骨折ろうともせず、筆まかせに書いて包むとすぐに女房へ渡した。
お使いの男は木幡 山を通るのに、雨気の空でことに暗く恐ろしい道を、臆病 でない者が選ばれて来たのか、気味の悪い篠原 道を馬もとめずに早打ちに走らせて一時間ほどで二条の院へ帰り着いた。
源氏物語 椎本
第四章 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち
第一段 歳末の宇治の姫君たち
雪や
霰 の多いころはどこでもはげしくなる風の音も、今はじめて寂しい恐ろしい山住みをする身になったかのごとく思って宇治の姫君たちは聞いていた。女房らが話の中で、
「いよいよ年が変わりますよ。心細い悲しい生活が改まるような春の来ることが待たれますよ」
などと言っているのが聞こえる。何かに希望をつないでいるらしい。そんな春は絶対にないはずであると姫君たちは思っていた。宮が時々念仏におこもりになったために、向かいの山寺に人の出はいりすることもあったのであるが、阿闍梨 も音問 の使いはおりおり送っても、宮のおいでにならぬ山荘へ彼自身は来てもかいのないこととして顔を見せない。時のたつにつれて山荘の人の目にはいる人影は少なくなるばかりであった。気にとまらなかった村民などさえもたまさかに訪 ねてくれる時はうれしく思うようになった。寒い日に向かうことであるから燃料の枝とか、木の実とかを拾い集めてささげる山の男もあった。阿闍梨の寺から炭などを贈って来た時に、年々のことになっておりますのが、ただ今になりまして中絶させますのは寂しいことですから。という
挨拶 があった。冬季の僧たちのために、必ず毎年綿入れの衣服類を宮が寺へ納められたのを思い出して、女王もそれらの品々を使いに託した。荷を運んで来た僧や子供侍が向かいの山の寺へ上がって行く姿が見え隠れに山荘から数えられた。雪の深く積もった日であった。泣く泣く姫君は縁側の近くへ出て見送っていたのである。宮はたとい出家をあそばされても、生きてさえおいでになればこんなふうに使いが常に往来 することによって自分らは慰められたであろう、どんなに心細い日を送っても、また父君にお逢 いのできる日はあったはずであるなどと二人は語り合って、大姫君、君なくて岩のかけ道絶えしより松の雪をも何とかは見る
中の君、奥山の松葉に積もる雪とだに消えにし人を思はましかば
消えた人でない雪はまたまた降りそって積もっていく、うらやましいまでに。
源氏物語 椎本
第四章 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち
第五段 薫、人びとを励まして帰京
菓子などが品よく客に供えられ、従者たちへは体裁のいい
酒肴 が出された。いつぞや薫からもらった衣服の芳香を持ちあぐんだ宿直 の侍も鬘髭 といわれる見栄 のよくない顔をして客の取り持ちに出ていた。こんな男だけが守護役を勤めているのかと薫は見て、前へ呼んだ。
「どうだね。宮がおいでにならなくなって心細いだろうが、よく勤めをしていてくれるね」
と優しく慰めてやった。悲しそうな顔になって髭男 は泣き出した。
「何の身寄りも助け手も持たない私でございまして、ただお一方のお情けでこの宮に三十幾年お世話になっております。若い時でさえそれでございましたから、今日になりましてはましてどこを頼みにして行く所がございましょう」
こんな話をするので、ますますみじめに見える髭男であった。
宮のお居間だったお座敷の戸を薫があけてみると、床には塵 が厚く積もっていたが、仏だけは花に飾られておわしました。姫君たちが看経 したあとと思われる。畳などは皆取り払われてあるのであった。御自分に出家の遂げられる日があったならと、それに薫が追随して行くことをお許しになったことなどを思い出して、立ち寄らん蔭 と頼みし椎 が本 むなしき床になりにけるかな
と歌い、柱によりかかっている薫 を、若い女房などはのぞき見をしてほめたたえていた。