宿木 やどりぎ【源氏物語 第四十九帖 宇治十帖の第五帖】
源氏物語画帖 宿木 土佐派
(第一章 薫と匂宮の物語 第四段 帝、女二の宮や薫と碁を打つ)
源氏物語絵巻 宿木
中納言朝臣こなたへと仰せ言ありて参りたまへりげにかく取り分きて召し出づるもかひありて遠くより薫れる匂ひよりはじめ人に異なるさましたまへり今日の時雨常よりことにのどかなるを遊びなどすさまじき方にていとつれづれなるをいたづらに日を送る戯れにてこれなむよかるべきとて碁盤召し出でて御碁の敵に召し寄すいつもかやうに気近くならしまつはしたまふにならひにたればさにこそはと思ふに好き賭物はありぬべけれど軽々しくはえ渡すまじきを何をかはなどのたまはする御けしきいかが見ゆらむいとど心づかひしてさぶらひたまふさて打たせたまふに三番に 数一つ負けさせたまひぬ
(第一章 薫と匂宮の物語 第四段 帝、女二の宮や薫と碁を打つ)
宿木 土佐光信
朝顔引き寄せたまへる露いたくこぼる
今朝の間の色にや賞でむ置く露の消えぬにかかる花と見る見る
(第二章 中君の物語 第五段 薫、二条院の中君を訪問)
源氏物語絵巻 宿木
宮は女君の御ありさま昼見きこえたまふにいとど御心ざしまさりけりおほきさよきほどなる人の様体いときよげにて髪のさがりば頭つきなどぞものよりことにあなめでたと見えたまひける色あひあまりなるまで匂ひてものものしく気高き顔のまみいと恥づかしげにらうらうじくすべて何ごとも足らひて容貌よき人と言はむに飽かぬところなし二十に一つ二つぞ余りたまへりけるいはけなきほどならねば片なりに飽かぬところなくあざやかに盛りの花と見えたまへり限りなくもてかしづきたまへるにかたほならずげに親にては心も惑はしたまひつべかりけり
(第四章 薫の物語 第二段 薫と按察使の君、匂宮と六の君)
(第七章 薫の物語 第四段 薫、浮舟の件を弁の尼に尋ねる)
源氏物語絵巻 宿木
穂に出でぬもの思ふらし篠薄招く袂の露しげくして
なつかしきほどの御衣どもに直衣ばかり着たまひて琵琶を弾きゐたまへり黄鐘調の掻き合はせをいとあはれに弾きなしたまへば女君も心に入りたまへることにてもの怨じもえし果てたまはず小さき御几帳のつまより脇息に寄りかかりてほのかにさし出でたまへるいと見まほしくらうたげなり
秋果つる野辺のけしきも篠薄 ほのめく風につけてこそ知れ
わが身一つのとて涙ぐまるるがさすがに恥づかしければ扇を紛らはしておはする御心の内もらうたく推し量らるれどかかるにこそ人もえ思ひ放たざらめと疑はしきがただならで恨めしきなめり
(第七章 薫の物語 第六段 匂宮、中君の前で琵琶を弾く)
やどり‐ぎ【宿木/寄=生木】
1 他の木に寄生する草木。 2 ヤドリギ科の常緑小低木。エノキ・桜など落葉樹の樹上に寄生し、高さ約50センチ。茎は緑色で、二また状によく分枝し、球状になる。葉は細長くて先が丸く、対生。雌雄異株。2月ごろ黄色の小花が咲き、11月ごろ黄色や赤色の丸い実がなる。実は粘液をもち、レンジャクなどの鳥に食われ、糞(ふん)とともに種子が排出されて枝に粘着し、発芽する。同科にはヒノキバヤドリギや実が白色のセイヨウヤドリギも含まれる。
2(宿木)源氏物語第49巻の巻名。薫大将、24歳から26歳。匂宮と夕霧の娘六の君との結婚や、中の君の落胆と出産、薫と女二の宮との結婚などを描く。
『源氏物語』第四十九巻は、「宿木(やどりぎ・寄生とも)」と言います。
この巻では、中の君が匂宮の皇子を懐妊。その匂宮は夕霧の六の君と結婚したため、中の君は宮に不信感を抱き、その中の君にともすれば薫が近づきます。せっぱつまった中の君は、異母妹の浮舟のことを薫に語ります。
晩秋薫は宇治を訪ね、八の宮や大君の菩提を弔うために、山荘の寝殿を阿闍梨の山寺の御堂に移築する指図をして帰京します。途中、深山木に這いかかる「こだに」を手折って、「宿木と思ひ出でずは木の下の旅寝もいかにさびしからまし――昔、宿ったという思い出がなかったならば、この深山木の下(宇治の山荘)での旅寝もどんなにさびしいことでしょう」という歌を添えて中の君に贈りました。ここから当巻の「宿木」の名が出ました。以上が本巻の前半の話です。
ところでふつう「宿木」というのは、他の樹木に寄生した木で、「ほや」と言われるものや、広葉樹に寄生するヤドリギ科の常緑低木を指します。もっともこの「宿木」巻では、八の宮邸の「いと気色ある深山木に宿りたる蔦(つた)の色ぞまだ残りたる。『こだに』など少し引き取らせて」、前述の歌を薫がよんだことになっています。のちにこれを見た匂宮も「をかしき蔦かな」と言っています。
「こだに」は、苦丹・苦肚・木丹等と書かれる「くだに」と同じものだとすると、これまた定説はなく、これはボタン・リンドウ・ホホズキなどと言われていますから、「宿木」巻の「こだに」とは違うことになります。
賀茂真淵などは、「こだに」は、「これをだに」の本文の間違いであると説いています(『源氏物語新釈』)。また一条兼良は「こだには木に付きたる虫の名也」とも言っています(『花鳥余情』)。
ともあれ、この「宿木」は深山木にからみついた「蔦」であったことは確かで、その光景から宇治山荘に宿った薫自身の姿を重ねて合わせているのです。
源氏物語 宿木
第一章 薫と匂宮の物語 女二の宮や六の君との結婚話
第四段 帝、女二の宮や薫と碁を打つ
ある日帝は碁を打っておいでになった。暮れがたになり
時雨 の走るのも趣があって、菊へ夕明りのさした色も美しいのを御覧になって、蔵人 を召して、
「今殿上の室にはだれとだれがいるか」
と、お尋ねになった。
「中務卿親王 、上野 の親王 、中納言 源 の朝臣 がおられます」
「中納言の朝臣をこちらへ」
と、仰せがあって薫 がまいった。実際源中納言はこうした特別な御愛寵 によって召される人らしく、遠くからもにおう芳香をはじめとして、高い価値のある風采 を持っていた。
「今日の時雨 は平生よりも明るくて、感じのよい日に思われるのだが、音楽は聞こうという気はしないし、つまらぬことにせよつれづれを慰めるのにはまずこれがいいと思うから」
と帝はお言いになって、碁盤をそばへお取り寄せになり、薫へ相手をお命じになった。いつもこんなふうに親しくおそばへお呼びになる習慣から、格別何でもなく薫が思っていると、
「よい賭物 があっていいはずなんだがね、少しの負けぐらいでそれは渡せない。何だと思う、それを」
という仰せがあった。お心持ちを悟ったのか薫は平生よりも緊張したふうになっていた。碁の勝負で三番のうち二番を帝はお負けになった。
「くやしいことだ。まあ今日はこの庭の菊一枝を許す」
このお言葉にお答えはせずに薫は階 をおりて、美しい菊の一枝を折って来た。そして、世の常の垣根 ににほふ花ならば心のままに折りて見ましを
この歌を奏したのは思召しに添ったことであった。霜にあへず枯れにし園の菊なれど残りの色はあせずもあるかな
と帝は仰せられた。
源氏物語 宿木
第二章 中君の物語 中君の不安な思いと薫の同情
第六段 薫、中君と語らう
もとから様子のおとなしい、男の荒さなどは持たぬ薫であるが、いよいよしんみり静かなふうになっていたから、中の君はこの人と対談することの恥ずかしく思われたことも、時がもはや薄らがせてなしやすく思うようになっていた。
「お身体 が悪いと伺っていますのはどんなふうの御病気ですか」
などと薫は聞くが、夫人からはかばかしい返辞を得ることはできない。平生よりもめいったふうの見えるのに理由のあることを知っている薫は、それを哀れに見て、こまやかに世の中に処していく心の覚悟というようなものを、兄弟などがあって、教えもし慰めもするふうに言うのであった。声なども特によく似たものともその当時は思わなかったのであるが、怪しいほど薫には昔の人のとおりに聞こえる中の君の声であった。人目に見苦しくなければ、御簾 も引き上げて差し向かいになって話したい、病気をしているという顔が見たい心のいっぱいになるのにも、人間は生きている間次から次へ物思いの続くものであるということはこれである、自分はまたこうした心の悶 えをしていかねばならぬ身になったと薫はみずから悟った。
「はなやかなこの世の存在ではなくとも、心に物思いをして歎きにわが身をもてあますような人にはならずに、一生を過ごしたいと願っていた私ですが、自身の心から悲しみも見ることになり、愚かしい後悔もこもごも覚えることになりましたのは残念です。官位の昇進が思うようにならぬということを人は最も大きな歎きとしていますが、それよりも私のする歎きのほうが少し罪の深さはまさるだろうと思われます」
などと言いながら、薫は持って来た花を扇に載せて見ていたが、そのうちに白い朝顔は赤みを帯びてきて、それがまた美しい色に見られるために、御簾の中へ静かにそれを差し入れて、よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顔の花
と言った。わざとらしくてこの人が携えて来たのでもないのに、よく露も落とさずにもたらされたものであると思って、中の君がながめ入っているうちに見る見る萎 んでいく。「消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる
『何にかかれる』(露のいのちぞ)」
と低い声で言い、それに続けては何も言わず、遠慮深く口をつぐんでしまう中の君のこんなところも故人によく似ていると思うと、薫はまずそれが悲しかった。
源氏物語 宿木
第三章 中君の物語 匂宮と六の君の婚儀
第二段 中君の不安な心境
幼い日から母のない娘で、この世をお愛しにもならぬ父宮を唯一の頼みにしてあの寂しい宇治の山荘に長くいたのであるが、いつとなくそれにも
馴 れ、徒然 さは覚えながらも、今ほど身にしむ悲しいものとは山荘時代の自分は世の中を知らなかった。父宮と姉君に死に別れたあとでは片時も生きていられないように故人を恋しく悲しく思っていたが、命は失われずあって、軽蔑 した人たちが思ったよりも幸福そうな日が長く続くものとは思われなかったが、自分に対する宮の態度に御誠実さも見え、正妻としてお扱いになるのによって、ようやく物思いも薄らいできていたのであるが、今度の新しい御結婚の噂 が事実になってくるにしたがい、過去にも知らなんだ苦しみに身を浸すこととなった、もう宮と自分との間はこれで終わったと思われる、人の死んだ場合とは違って、どんなに新夫人をお愛しになるにもせよ、時々はおいでになることがあろうと思ってよいはずであるが、今夜こうして寂しい自分を置いてお行きになるのを見た刹那 から、過去も未来も真暗 なような気がして心細く、何を思うこともできない、自分ながらあまりに狭量であるのが情けない、生きていればまた悲観しているようなことばかりでもあるまいなどと、みずから慰めようと中の君はするのであるが、姨捨山 の月(わが心慰めかねつ更科 や姨捨山に照る月を見て)ばかりが澄み昇 って夜がふけるにしたがい煩悶 は加わっていった。松風の音も荒かった山おろしに比べれば穏やかでよい住居 としているようには今夜は思われずに、山の椎 の葉の音に劣ったように中の君は思うのであった。山里の松の蔭 にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき
過去の悲しい夢は忘れたのであろうか。
源氏物語 宿木
第三章 中君の物語 匂宮と六の君の婚儀
第七段 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴
八時少し過ぐるころに宮はおいでになった。寝殿の南の間の東に寄せて婿君のお席ができていた。
高脚 の膳 が八つ、それに載せた皿は皆きれいで、ほかにまた小さい膳が二つ、飾り脚のついた台に載せたお料理の皿など、見る目にも美しく並べられて、儀式の餠 も供えられてある。こんなありふれたことを書いておくのがはばかられる。
大臣が新夫婦の居間のほうへ行って、もう夜がふけてしまったからと女房に言い、宮の御出座を促すのであったが、宮は六の君からお離れになりがたいふうで渋っておいでになった。今夜の来賓としては雲井 の雁 夫人の兄弟である左衛門督 、藤宰相 などだけが外から来ていた。やっとしてから出ておいでになった宮のお姿は美しくごりっぱであった。主人がたの頭 中将が盃 を御前へ奉り、膳部を進めた。宮は次々に差し上げる盃を二つ三つお重ねになった。薫が御前のお世話をして御酒 をお勧めしている時に、宮は少し微笑をお洩 らしになった。
以前にこの縁組みの話をあそばして、堅苦しく儀礼ばることの好きな家の娘の婿になることなどは自分に不似合いなことでいやであると薫へお言いになったのを思い出しておいでになるのであろう。中納言のほうでは何も覚えていぬふうで、あくまで慇懃 にしていた。そしてまたこの人は東の対の座敷のほうに設けたお供の役人たちの酒席へまで顔を出して接待をした。はなやかな殿上役人も多かった四位の六人へは女の装束に細長、十人の五位へは三重襲 の唐衣 、裳 の腰の模様も四位のとは等差があるもの、六位四人は綾 の細長、袴 などが出された纏頭 であった。この場合の贈り物なども法令に定められていてそれを越えたことはできないのであったから、品質や加工を精選してそろえてあった。召次侍 、舎人 などにもまた過分なものが与えられたのである。こうした派手 な式事は目にもまばゆいものであるから、小説などにもまず書かれるのはそれであるが、自分に語った人はいちいち数えておくことができなかったそうであった。
源氏物語 宿木
第四章 薫の物語 中君に同情しながら恋慕の情高まる
第二段 薫と按察使の君、匂宮と六の君
例のような目のさめがちな
独 り寝のつれづれさを思って按察使 の君と言って、他の愛人よりはやや深い愛を感じている女房の部屋 へ行ってその夜は明かした。朝になりきればとて人が奇怪がることでもないのであるが、そんなことも気にするらしく急いで起きた薫を、女は恨めしく思ったに違いない。うち渡し世に許しなき関川をみなれそめけん名こそ惜しけれ
と按察使は言った。哀れに思われて、深からず上は見ゆれど関川のしもの通ひは絶ゆるものかは
薫はこう言った。恋の心は深いと言われてさえ頼みにならぬものであるのに、上は浅いと認めて言われるのに女は苦痛を覚えなかったはずはない。妻戸を薫はあけて、
「この夜明けの空のよさを思って早く出て見たかったのだ。こんな深い趣を味わおうとしない人の気が知れないね、風流がる男ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明 は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
こんなことを紛らして言いながら薫は出て行った。女を喜ばそうとして上手 なことを多く言わないのであるが、艶 な高雅な風采 を備えた人であるために、冷酷であるなどとはどの相手も思っていないのであった。仮なように作られた初めの関係を、そのままにしたくなくて、せめて近くにいて顔だけでも見ることができればというような考えを持つのか、尼になっておいでになる所にもかかわらず、縁故を捜してこの宮へ女房勤めに出ている人々はそれぞれ身にしむ思いをするものらしく見えた。
源氏物語 宿木
第七章 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く
第五段 薫、二条院の中君に宇治訪問の報告
夜が明けたので薫は帰ろうとしたが、昨夜遅れて京から届いた絹とか綿とかいうような物を
御寺 の阿闍梨 へ届けさせることにした。弁の尼にも贈った。寺の下級の僧たち、尼君の召使いなどのために布類までも用意させてきて薫は与えたのだった。心細い形の生活であるが、こうして中納言が始終補助してくれるために、気楽に質素な暮らしが弁にできるのである。
堪えがたいまでに吹き通す木枯 しに、残る枝もなく葉を落とした紅葉 の、積もりに積もり、だれも踏んだ跡も見えない庭にながめ入って、帰って行く気の進まなく見える薫であった。よい形をした常磐木 にまとった蔦 の紅葉だけがまだ残った紅 さであった。こだにの蔓 などを少し引きちぎらせて中の君への贈り物にするらしく薫は従者に持たせた。やどり木と思ひ出 でずば木のもとの旅寝もいかに寂しからまし
と口ずさんでいるのを聞いて、弁が、荒れはつる朽ち木のもとを宿り木と思ひおきけるほどの悲しさ
という。あくまで老いた女らしい尼であるが、趣味を知らなくないことで悪い気持ちは中納言にしなかった。
源氏物語 宿木
第八章 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁
第二段 中君に男子誕生
ようやくその夜明けに二条の院の夫人は男児を生んだ。宮も非常にお喜びになった。右大将も昇任の
悦 びと同時にこの報を得ることのできたのをうれしく思った。昨夜の宴に出ていただいたお礼を述べに来るのとともに、御男子出産の喜びを申しに、薫は家へ帰るとすぐに二条の院へ来たのであった。
兵部卿の宮がそのままずっと二条の院におられたから、お喜びを申しに伺候しない人もなかった。産養 の三日の夜は父宮のお催しで、五日には右大将から産養を奉った。屯食 五十具、碁手 の銭、椀飯 などという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児 の服を五枚重ねにしたもの、襁褓 などに目だたぬ華奢 の尽くされてあるのも、よく見ればわかるのであった。父宮へも浅香木の折敷 、高坏 などに料理、ふずく(麺類 )などが奉られたのである。女房たちは重詰めの料理のほかに、籠 入りの菓子三十が添えて出された。たいそうに人目を引くことはわざとしなかったのである。
源氏物語 宿木
第八章 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁
第六段 藤壺にて藤の花の宴催される
第七段 女二の宮、三条宮邸に渡御す
夏になると御所から三条の宮は方角
塞 がりになるために、四月の朔日 の、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。
その前日に帝は藤壺 へおいでになって、藤花 の宴をあそばされた。南の庇 の間の御簾 を上げて御座の椅子 が立てられてあった。これは帝のお催しで宮が御主催になったのではない。高級役人や殿上人の饗膳 などは内蔵寮 から供えられた。左大臣、按察使 大納言、藤 中納言、左兵衛督 などがまいって、皇子がたでは兵部卿 の宮、常陸 の宮などが侍された。南の庭の藤の花の下に殿上人の席ができてあった。後涼殿の東に楽人たちが召されてあって、日の暮れごろから双調を吹き出し、お座敷の上では姫宮のほうから御遊の楽器が出され、大臣を初めとして人々がそれを御前へ運んだ。六条院が自筆でおしたためになり、三条の尼宮へお与えになった琴の譜二巻を五葉の枝につけて左大臣は持って出、由来を御披露 して奉った。次々に十三絃 、琵琶 、和琴 の名楽器が取り出された。朱雀 院から伝わった物で薫の所有するものである。笛は柏木 の大納言が夢に出て伝える人を夕霧へ暗示した形見のもので、非常によい音 の出るものであると六条院がお愛しになったものを、右大将へ贈るのはこの美しい機会以外にないと思い、薫のためにこの人が用意してきたのであるらしい。大臣に和琴、兵部卿の宮に琵琶の役を仰せつけになった。笛の右大将はこの日比類もなく妙音を吹き立てた。殿上役人の中にも唱歌の役にふさわしい人は呼び出され、おもしろい合奏の夜になった。御前へ女二 の宮 のほうから粉熟 が奉られた。沈 の木の折敷 が四つ、紫檀 の高坏 、藤色の村濃 の打敷 には同じ花の折り枝が刺繍 で出してあった。銀の陽器 、瑠璃 の杯 瓶子 は紺瑠璃 であった。兵衛督が御前の給仕をした。お杯を奉る時に、大臣は自分がたびたび出るのはよろしくないし、その役にしかるべき宮がたもおいでにならぬからと言い、右大将にこの晴れの役を譲った。薫は遠慮をして辞退をしていたが、帝もその御希望がおありになるようであったから、お杯をささげて「おし」という声の出し方、身のとりなしなども、御前ではだれもする役であるが比べるものもないりっぱさに見えるのも、今日は婿君としての思いなしが添うからであるかもしれぬ。返しのお杯を賜わって、階下へ下り舞踏の礼をした姿などは輝くようであった。皇子がた、大臣などがお杯を賜わるのさえきわめて光栄なことであるのに、これはまして御婿として御歓待あそばす御心 がおありになる場合であったから、幸福そのもののような形に見えたが、階級は定まったことであったから、大臣、按察使 大納言の下 の座に帰って来て着いた時は心苦しくさえ見えた。按察使大納言は自分こそこの光栄に浴そうとした者ではないか、うらやましいことであると心で思っていた。昔この宮の母君の女御 に恋をしていて、その人が後宮にはいってからも始終忘られぬ消息を送っていたのであって、しまいにはまたお生みした姫宮を得たい心を起こすようになり、宮の御後見役代わりの御良人 になることを人づてにお望み申し上げたつもりであったのが、その人はむだなことを知って奏上もしなかったのであったから、按察使は残念に思い、右大将は天才に生まれて来ているとしても、現在の帝がこうした婿かしずきをあそばすべきでない、禁廷の中のお居間に近い殿舎で一臣下が新婚の夢を結び、果ては宴会とか何とか派手 なことをあそばすなどとは意を得ないなどとお譏 り申し上げてはいたが、さすがに藤花の御宴に心が惹 かれて参列していて、心の中では腹をたてていた。燭を手にして歌を文台の所へ置きに来る人は皆得意顔に見えたが、こんな場合の歌は型にはまった古くさいものが多いに違いないのであるから、わざわざ調べて書こうと筆者はしなかった。上流の人とても佳作が成るわけではないが、しるしだけに一、二を聞いて書いておく。次のは右大将が庭へ下 りて藤 の花を折って来た時に、帝へ申し上げた歌だそうである。すべらぎのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり
したり顔なのに少々反感が起こるではないか。よろづ代をかけてにほはん花なれば今日 をも飽かぬ色とこそ見れ
これは御製である。まただれかの作、君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか
世の常の色とも見えず雲井まで立ちのぼりける藤波の花
あとのは腹をたてていた大納言の歌らしく思われる。どの歌にも筆者の聞きそこねがあってまちがったところがあるかもしれない。だいたいこんなふうの歌で、感激させられるところの少ないもののようであった。
源氏物語 宿木
第九章 薫の物語 宇治で浮舟に出逢う
第一段 四月二十日過ぎ、薫、宇治で浮舟に邂逅
賀茂 の祭りなどがあって、世間の騒がしいころも過ぎた二十幾日に薫はまた宇治へ行った。建造中の御堂を見て、これからすべきことを命じてから、古山荘を訪 ねずに行くのは心残りに思われて、そのほうへ車をやっている時、女車で、あまりたいそうなのではないが一つ、荒々しい東国男の腰に武器を携えた侍がおおぜい付き、下僕の数もおおぜいで、不安のなさそうな旅の一行が橋を渡って来るのが見えた。