東屋 あずまや・あづまや【源氏物語 第五十帖 宇治十帖の第六帖】
源氏物語画帖 東屋 土佐派
(第四章 浮舟と匂宮の物語 第八段 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう)
東屋 土佐光信
こなたの廊の中の壺前栽のいとをかしう色々に咲き乱れたるに遣水のわたりの石高きほどいとをかしければ端近く添ひ臥して眺むるなりけり
(第四章 浮舟と匂宮の物語 第二段 匂宮、浮舟に言い寄る)
源氏物語絵巻 東屋
絵など取り出でさせて右近に詞読ませて見たまふに向ひてもの恥ぢもえしあへたまはず心に入れて見たまへる灯影さらに ここと見ゆる所なくこまかにをかしげなり
(第四章 浮舟と匂宮の物語 第八段 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう)
源氏物語絵巻 東屋
雨やや降り来れば空はいと暗し宿直人のあやしき声したる夜行うちして家の辰巳の隅の崩れいと危ふしこの人の御車入るべくは引き入れて御門鎖してよかかる人の御供人こそ心はうたてあれなど言ひあへるもむくむくしく聞きならはぬ心地したまふ佐野のわたりに家もあらなくになど口ずさびて里びたる簀子の端つ方に居たまへり
さしとむる葎やしげき東屋のあまりほど降る雨そそきかな
とうち払ひたまへる追風いとかたはなるまで東の里人も驚きぬべし
(第六章 浮舟と薫の物語 第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う)
あづまや(東屋)
東屋は源氏物語の一巻なり。宇治の姫君中の宮の母の姪なる中将のきみは、常陸の守の妻なり、その中に一人の姫あり、匂宮兵部卿の北の方中の君これを薫の大将に語り玉ふ、然るに此時已に姫の母は左近少将なる人を婿になと語りし後のことなり。北の方姫を御内に迎え置かれしに匂宮折々さしのぞかせ玉ひければ、めのとあさましく思いて、荒々しき小家に隠し置かる。然るを薫忍び寄リ玉ふ、宿直のものあつま聲にて誰何しけるに
さしとむる葎のしけきあつまやのあまりほとふるあまそゝき哉
と呼ぶ。かくて晩方此姫を車にかきのせ、宇治へ連れ行き住まはせ玉ふとなり、頃に九月なり。
あずま‐や あづま‥【四阿・東屋・阿舎】
[1]
〘名〙 (「あづま」の屋の意で、もと、田舎風の家をいうといわれる)
① =あずまやづくり(四阿造) ※続日本紀‐天平一四年(742)正月丁未「為二大極殿未一レ成、権造二四阿(あづまや)殿一、於レ此受レ朝焉」 ※新撰字鏡(898‐901頃)「四阿 阿豆万屋」
② 庭園や公園内に、休憩、眺望のため、あるいは園内の一点景として設けられる小さな建物。屋根は四方を葺(ふ)きおろした方形(ほうぎょう)造り、寄棟(よせむね)造りになっている。壁がないものもある。 ※俳諧・毛吹草追加(1647)上「あづま屋か四方へおつる家桜〈広寧〉」
[2]
[一] 催馬楽(さいばら)の曲名。「楽家録‐巻之六・催馬楽歌字」所収の「東屋(あづまや)の真屋(まや)のあまりの、その、雨そそぎ〈略〉」をさす。
[二] (東屋) 「源氏物語」第五〇帖の名。宇治十帖の第六。薫二六歳の八月から九月まで。薫は、亡き大君に生き写しの浮舟に心を奪われ、宇治の山荘に住まわせる。
[語誌](一)①の挙例「続日本紀」にも見えるように、七、八世紀の宮殿や主要な寺院は寄棟造りか入母屋造りであった。それを「あづまの屋」と呼んだのは、大陸から新しい建築様式が伝来する以前の建築が宮殿や神社が切妻造りで「真屋」と呼ばれ、民家が寄棟造りであったから以前の呼称がそのまま流用されたためであろう。催馬楽や和歌、「源氏物語」の巻名などでは、建築様式ではなく、もともとの茅葺きなどの粗末な家、田舎の家の意で用いられている。
源氏五十四帖 五十 東屋 尾形月耕
源氏香の図 東屋 歌川国貞
さしとむる葎やしげき東屋のあまりほど降る雨そそきかな
源氏物語 東屋
第一章 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻
第二段 継父常陸介と求婚者左近少将
八月ぐらいと
仲人 と約束をし、手道具の新調をさせ、遊戯用の器具なども特に美しく作らせ、巻き絵、螺鈿 の仕上がりのよいのは皆姫君の物として別に隠して、できの悪いのを守の娘の物にきめて良人 に見せるのであったが、守は何の識別もできる男でなかったからそれで済んだ。座敷の飾りになるという物はどれもこれも買い入れて、秘蔵娘の居間はそれらでいっぱいで、わずかに目をすきから出して外がうかがえるくらいにも手道具を並べ立て、琴や琵琶の稽古 をさせるために、御所の内教坊 辺の楽師を迎えて師匠にさせていた。曲の中の一つの手事が弾 けたといっては、師匠に拝礼もせんばかりに守は喜んで、その人を贈り物でうずめるほどな大騒ぎをした。派手 に聞こえる曲などを教えて、師匠が教え子と合奏をしている時には涙まで流して感激する。荒々しい心にもさすがに音楽はいいものであると知っているのであろう。こんなことを少し物を識 った女である夫人は見苦しがって、冷淡に見ていることで守は腹をたてて、俺 の秘蔵子をほかの娘ほどに愛さないとよく恨んだ。
源氏物語 東屋
第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる
第二段 継父常陸介、実娘の結婚の準備
守 は婿取りの仕度 を一所懸命にして、
「女房などはこちらにいいのがたくさんあるようだから、当分あちらの娘付きにさせておくがいい。帳台の帛 なども新調しただろう、にわかなことで間に合わないから、それをそのまま用いることにして、こちらの座敷を使おう」
西座敷のほうへもそんなことを言いに来て、大騒ぎに騒いでいた。夫人が感じよくさっぱりと装飾しておいた姫君の座敷へ、よけいに幾つもの屏風 を持って来て立て、飾り棚 、二階棚なども気持ちの悪いほど並べ、そんなのを標準にしてすべての用意のととのえられているのを、夫人は見苦しく思うのであるが、いっさい口出しをすまいと言い切ったのであったから、傍観しているばかりであった。姫君は北側の座敷へ移っていた。
「あなたの心は皆わかってしまった。同じあなたの子なのだから、どんなに愛に厚薄はあっても、今度のような場合に打ちやりにしておけるものでないだろうと思っていたのはまちがいだった。もういいよ。世間には母親のある子ばかりではないのだから」
と守は言い、愛嬢を昼から乳母 と二人で撫 でるようにして繕い立てていたから、そう醜いふうの娘とは見えなかった。今が十五、六で、背丈 が低く肥 った、きれいな髪の持ち主で、小袿 の丈 と同じほどの髪のすそはふさやかであった。その髪をことさら賞美して撫でまわしている守であった。
「家内がほかの計画を立てていた人をわざわざ実子の婿にせずともいいとは思ったが、あまりに人物がりっぱなもので、われもわれもと婿に取りたがるというのを聞いて、よそへ取られてしまうのは残念だったから」
と、あの仲人 の口車に乗せられた守の言っているのも愚かしい限りであった。
左近少将もこの派手 な舅 ぶりに満足して、夫人のほうもやむをえず同意したことと解釈をし、以前に約束のしてあった夜から来始めた。
源氏物語 東屋
第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる
第六段 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望
朝おそくなってから宮はお起きになり、病身になっておいでになる
中宮 がまた少しお悪いとお聞きになって御所へまいろうとされ、衣服を改めなどしておいでになった。心が惹 かれてまた常陸夫人がのぞくと、正しく装束をされたお姿はまた似るものもないほど気高くお美しい宮は、若君へお心が残るようにいろいろとあやしておいでになる。粥 、強飯 などを召し上がり、この西の対からお車に召されるのであった。今朝 からまいっていて控え所のほうにいた人々はこの時になってお縁側へ出て来て何かと御挨拶 を申し上げたりしている中に、気どったふうを見せながら平凡でおもしろみのない顔をし、直衣 に太刀 を佩 いているのがあった。宮のおいでになる前では目にもとまらぬ男であったが、
「あれがあの常陸守の婿の少将じゃありませんか。初めはあの姫君の婿にと定められていたのに、守 の娘をもらってかばってもらおうという腹で、女にもでき上がっていない子供を細君にしたのですよ。そんなことをこちらなどで噂 する者はありませんがね、守の邸 に知った人があって私はその事情を知っているのですよ」
とほかの一人にささやいている女房があった。常陸の妻が聞いているとは知らずにこんなことの言われているのにもその人ははっとして、少将を相当な風采 をした男と認めた以前の自身すらも、残念に腹だたしく、あの男と結婚をさせれば姫君の一生は平凡なものになってしまうのであったと思い、あれ以来軽蔑はしているのであったが、いっそうその感を深くする常陸の妻であった。若君が這 い出して御簾 の端からのぞいているのに宮はお気づきになって、またもどっておいでになった。
源氏物語 東屋
第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる
第二段 匂宮、浮舟に言い寄る
宮はそちらこちらと縁側を歩いておいでになったが、西のほうに見
馴 れぬ童女が出ていたのにお目がとまり、新しい女房が来ているのであろうかとお思いになって、そこの座敷を隣室からおのぞきになった。間 の襖子 の細めにあいた所から御覧になると、襖子の向こうから一尺ほど離れた所に屏風 が立ててあった。その間の御簾 に添えて几帳が置かれてある。几帳の垂 れ帛 が一枚上へ掲げられてあって、紫苑 色のはなやかな上に淡黄 の厚織物らしいのの重なった袖口 がそこから見えた。屏風の端が一つたたまれてあったために、心にもなくそれらを見られているらしい。相当によい家から出た新しい女房なのであろうと宮は思召して、立っておいでになった室 から、女のいる室へ続いた庇 の間 の襖子をそっと押しあけて、静かにはいっておいでになったのをだれも気がつかずにいた。
向こう側の北の中庭の植え込みの花がいろいろに咲き乱れた、小流れのそばの岩のあたりの美しいのを姫君は横になってながめていたのである。初めから少しあいていた襖子をさらに広くあけて屏風の横から中をおのぞきになったが、宮がおいでになろうなどとは思いも寄らぬことであったから、いつも中の君のほうから通って来る女房が来たのであろうと思い、起き上がったのは、宮のお目に非常に美しくうつって見える人であった。例の多情なお心から、この機会をはずすまいとあそばすように、衣服の裾 を片手でお抑 えになり、片手で今はいっておいでになった襖子を締め切り、屏風の後ろへおすわりになった。
怪しく思って扇を顔にかざしながら見返った姫君はきれいであった。扇をそのままにさせて手をお捉 えになり、
「あなたはだれ。名が聞きたい」
とお言いになるのを聞いて、姫君は恐ろしくなった。ただ戯れ事の相手として御自身は顔を外のほうへお向けになり、だれと知れないように宮はしておいでになるので、近ごろ時々話に聞いた大将なのかもしれぬ、においの高いのもそれらしいと考えられることによって、姫君ははずかしくてならなかった。
源氏物語 東屋
第五章 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる
第三段 母、左近少将と和歌を贈答す
二条の院の宮の御前でみすぼらしく見た時から
軽蔑 する気になった夫人であったから、姫君の婿として大事に扱ってみたいなどと好意を持ったことは忘れていた。家ではどんなふうに見えるであろう、まだ自家の中で打ち解けた姿をしているところを自分は見なかったと思い、少将がくつろいでいる昼ごろに今では守 の愛嬢の居室 に使われている西座敷へ来て夫人は物蔭 からのぞいた。柔らかい白綾 の服の上に、薄紫の打ち目のきれいにできた上着などを重ねて、縁側に近い所へ、庭の植え込みを見るために出てすわっている姿は、決して醜い男だとは見えない。娘は未完成に見える若さで、無邪気に身を横たえていた。母の目には兵部卿 の宮が夫人と並んでおいでになった時の華麗さが浮かんできて、どちらもつまらぬ夫婦であるとまた思った。そばにいる女房らに冗談 を言っている余裕のある様子などをながめていると、この間のように美しい気 もない男とは見えないため、二条の院でのぞいた時のは他の少将であったかと思う時も時、
「兵部卿の宮のお邸 の萩 はきれいなものだよ。どうしてあんな種があったのだろう。同じ花でも枝ぶりがなんというよさだったろう。この間伺った時にはもうすぐお出かけになる時だったから折っていただいて来ることができなかったよ。その時『うつろはんことだに惜しき秋萩に』というのをお歌いになった宮様を若い人たちに見せたかったよ」
と言うではないか。そして少将は自身でも歌を作っていた。あの利己心をなまなましく見せた時のことを思うと人とも見なされない男で、はなはだしく幻滅を感じさせた男に、ろくな歌はできるはずもないと母はつぶやかれたのであるが、そうまでも軽蔑してしまうことのできぬふうはさすがにしているため、どう答えるかためそうと思い、しめゆひし小萩が上もまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ
と取り次がせてやると、少将は姑 を気の毒に思って、「宮城野 の小萩がもとと知らませばつゆも心を分かずぞあらまし
そのうち自身でこの申しわけをさせていただきましょう」
と返事を伝えさせた。
源氏物語 東屋
第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く
第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う
夜の八時過ぎに宇治から用があって人が来たと言って、ひそかに門がたたかれた。弁は薫であろうと思っているので、門をあけさせたから、車はずっと中へはいって来た。家の人は皆不思議に思っていると、尼君に面会させてほしいと言い、宇治の荘園の預かりの人の名を告げさせると、尼君は妻戸の口へいざって出た。小雨が降っていて風は冷ややかに
室 の中へ吹き入るのといっしょにかんばしいかおりが通ってきたことによって、来訪者の何者であるかに家の人は気づいた。だれもだれも心ときめきはされるのであるが、何の用意もない時であるのに、あわてて、どんな相談を客は尼としてあったのであろうと言い合った。
「静かな所で、今日までどんなに私が思い続けて来たかということもお聞かせしたいと思って来ました」
と薫は姫君へ取り次がせた。どんな言葉で話に答えていけばよいかと心配そうにしている姫君を、困ったものであるというように見ていた乳母が、
「わざわざおいでになった方を、庭にお立たせしたままでお帰しする法はございませんよ。本家の奥様へ、こうこうでございますとそっと申し上げてみましょう。近いのですから」
と言った。
「そんなふうに騒ぐことではありませんよ。若い方どうしがお話をなさるだけのことで、そんなにものが進むことですか。怪しいほどにもおあせりにならない落ち着いた方ですもの、人の同意のないままで恋を成立させようとは決してなさいますまい」
こう言ってとめたのは弁の尼であった。雨脚 がややはげしくなり、空は暗くばかりなっていく。宿直 の侍が怪しい語音 で家の外を見まわりに歩き、
「建物の東南のくずれている所があぶない、お客の車を中へ入れてしまうものなら入れさせて門をしめてしまってくれ、こうした人の供の人間に油断ができないのだよ」
などと言い合っている声の聞こえてくるようなことも薫にとって気味の悪いはじめての経験であった。「さののわたりに家もあらなくに」(わりなくも降りくる雨か三輪が崎 )などと口ずさみながら、田舎 めいた縁の端にいるのであった。さしとむるむぐらやしげき東屋 のあまりほどふる雨そそぎかな
と言い、雨を払うために振った袖の追い風のかんばしさには、東国の荒武者どもも驚いたに違いない。
室内へ案内することをいろいろに言って望まれた家の人は、断わりようがなくて南の縁に付いた座敷へ席を作って薫 は招じられた。姫君は話すために出ることを承知しなかったが、女房らが押し出すようにして客の座へ近づかせた。遣戸 というものをしめ、声の通うだけの隙 があけてある所で、
「飛騨 の匠 が恨めしくなる隔てですね。よその家でこんな板の戸の外にすわることなどはまだ私の経験しないことだから苦しく思われます」
などと訴えていた薫は、どんなにしたのか姫君の居室 のほうへはいってしまった。
源氏物語 東屋
第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く
第七段 宇治に到着、薫、京に手紙を書く
山荘へ着いた時に薫は、その人でない新婦を伴って来たことを、この家にとまっているかもしれぬ故人の霊に恥じたが、こんなふうに体面も思わぬような恋をすることになったのはだれのためでもない、昔が忘れられないからではないかなどと思い続けて、家へはいってからは新婦をいたわる心でしばらく離れていた。女は母がどう思うであろうと歎かわしい心を、
艶 な風采 の人からしんみりと愛をささやかれることに慰めて車から下 りて来たのであった。
尼君は主人たちの寝殿の戸口へは下りずに、別な廊のほうへ車をまわさせて下りたのを、それほど正式にせずともよい山荘ではないかと薫は思ったのであった。荘園のほうからは例のように人がたくさん来た。薫の食事はそちらから運ばれ、姫君のは弁の尼が調じて出した。山中の途 は陰気であったが山荘のながめは晴れ晴れしかった。自然の川をも山をも巧みに取り扱った新しい庭園をながめて、昨日までの仮住居 の退屈さが慰められる姫君であったが、どう自分を待遇しようとする大将なのであろうとその点が不安でならなかった。