手習 てならい・てならひ【源氏物語 第五十三帖 宇治十帖の第九帖】

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源氏物語画帖 手習 土佐派

第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活 第七段 浮舟、手習して述懐

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源氏物語図屏風

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手習 土佐光信

かきくらす野山の雪を眺めても降りにしことぞ今日も悲しき

など例の慰めの手習を行ひの隙にはしたまふ

(第六章 浮舟の物語 第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す)

 

てならひ(手習)

手習、源氏物語の一巻にあり、小野の山里に八十ばかりなる尼あり、その兄の聖にて此山にありしを連れ立ちて長谷詣でせらる。此尼不思議の夢見て下向するに宇治平等院の後手の木の下に美しき女の綾の衣に紅の袴して立ずみ玉ふあり、是れ夢の告げとも伴うて行き聖に加持させ労はる、是の美女こそ宇治の浮舟なれ、浮舟あらぬ世に生れ出たる心地して、我身の故郷のことなどいうべきやうもなく、唯手習し硯に向ひ歌などよみてあかしくらし玉ふ。

身をなけし泪の川のはやき瀬にしからみかけて誰かとゞめん

など詠まる、都のこと思い暮らさる、後世の無常を感じ髪下ろして尼となるなり。

 

『画題辞典』斎藤隆

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる

第三段 若い女であることを確認し、救出する

初めから怖気おじけを見せなかった僧がそばへ寄って行った。
幽鬼おにか、神か、狐か、木精こだまか、高僧のおいでになる前で正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」
 と言って着物の端を手で引くと、その者は顔をえりに引き入れてますます泣く。
「聞き分けのない幽鬼おにだ。顔を隠そうたって隠せるか」
 こう言いながら顔を見ようとするのであったが、心では昔話にあるような目も鼻もない女鬼めおにかもしれぬと恐ろしいのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く。何にもせよこんな不思議な現われは世にないことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 手習

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活

第六段 小野山荘の風情

第七段 浮舟、手習して述懐

ここは浮舟のいた宇治の山荘よりは水の音も静かで優しかった。庭の作りも雅味があって、木の姿が皆よく、前の植え込みの灌木かんぼくや草も上手じょうずに作られてあった。
 秋になると空の色も人の哀愁をそそるようになり、門前の田は稲を刈るころになって、田舎いなからしい催し事をし、若い女うたを高声に歌ってはうれしがっていた。引かれる鳴子の音もおもしろくて浮舟は常陸ひたちに住んだ秋が思い出されるのであった。同じ小野ではあるが夕霧の御息所みやすどころのいた山荘などよりも奥で、山によりかかった家であったから、松影が深く庭に落ち、風の音も心細い思いをさせる所で、つれづれになってはだれも勤行ばかりをする仏前の声が寂しく心をぬらした。尼君は月の明るい夜などに琴をいた。少将の尼という人は琵琶びわを弾いて相手を勤めていた。
「音楽をなさいますか。でなくては退屈でしょう」
 と尼君は姫君に言っていた。昔も母の行く国々へつれまわられていて、静かにそうしたものの稽古けいこをする間もなかった自分は風雅なことの端も知らないで人となった、こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに浮舟うきふねの姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであった。そして何の信念も持ちえなかった自分であったとはかなまれて、手習いに、

身を投げし涙の川の早き瀬にしがらみかけてたれかとどめし


 こんな歌を書いていた。よいことの拾い出せない過去から思えば将来も同じ薄命道を続けて歩んで行くだけであろうと自身がうとましくさえなった。
 月の明るい夜ごとに老いた女たちは気どった歌をんだり、昔の思い出話をするのであったが、その中へ混じりえない浮舟の姫君はただつくづくと物思いをして、

われかくて浮き世の中にめぐるともたれかは知らん月の都に


 こんな歌も詠まれた。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 手習

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る

第六段 中将、三度山荘を訪問

 中将は小野の人に手紙を送ることもさすがに今さら若々しいことに思われてできず、しかもほのかに見た姿は忘れることができずに苦しんでいた。厭世えんせい的になっているのは何の理由であるかはわからぬが哀れに思われて、八月の十日過ぎにはまた小鷹狩こたかがりの帰りに小野の家へ寄った。例の少将の尼を呼び出して、
「お姿を少し隙見で知りました時から落ち着いておられなくなりました」
 と取り次がせた。浮舟の姫君は返辞をしてよいことと認めず黙っていると、尼君が、
待乳まつちの山の(たれをかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし)と見ております」
 と言わせた。それから昔のしゅうとめと婿は対談したのであるが、
「気の毒な様子で暮らしておいでになるとお話しになりました方のことをくわしく承りたく思います。満足のできない生活が続くものですから、山寺へでもはいってしまいたくなるのですが、同意されるはずもない両親を思いまして、そのままにしています私は、幸福な人には自分の沈んだ心から親しんでいく気になれませんが、不幸な人には慰め合うようになりたく思われてなりません」
 中将は熱心に言う。
「不しあわせをお話しになろうとなさいますのには相当したお相手だと思いますけれど、あの方はこのまま俗の姿ではもういたくないということを始終言うほどにも悲観的になっています。私ら年のいった人間でさえいよいよ出家する時には心細かったのですから、春秋に富んだ人に、それが実行できますかどうかと私はあぶながっています」
 尼君は親がって言うのであった。姫君の所へ行ってはまた、
「あまり冷淡な人だと思われますよ。少しでも返辞を取り次がせておあげなさいよ。こんなわび住まいをしている人たちというものは、自尊心は陰へ隠して人情味のある交際をするものなのですよ」
 などと言うのであるが、
「私は人とどんなふうにものを言うものなのか、その方法すら知らないのですもの。私は何の点でも人並みではございません」
 浮舟の姫君はそのまま横になってしまった。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 手習

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す

第三段 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む

月が出て景色けしきのおもしろくなった時分に、昼間手紙をよこした中将が出て来た。
 いやなことである、なんということであろうと思った姫君が奥のほうへはいって行くのを見て、
「それはあまりでございますよ。あちらのお志もこんなおりからにはことに深さのまさるものですもの、ほのかにでもお話しになることを聞いておあげなさいませ。あちらのお言葉がしみになってお身体からだへつくようにも反感を持っていらっしゃるのですね」
 少将にこんなふうに言われれば言われるほど不安になる姫君であった。姫君もいっしょに旅に出かけたと少将は客へ言ったのであるが、昼間の使いが一人は残っておられる、というようなことを聞いて行ったものらしくて中将は信じない。いろいろと言葉を尽くして姫君の無情さを恨み、
「お話をしいて聞かせてほしいとは申しません。ただお近い所で、私のする話をお聞きくだすって、その結果私に好意を持つことがおできにならぬならそうと言いきっていただきたいのです」
 こんなことをどれほど言っても答えのないのでくさくさした中将は、
「情けなさすぎます。この場所は人の繊細な感情を味わってくださるのに最も適した所ではありませんか。こんな扱いをしておいでになって何ともお思いにならないのですか」
 とあざけるようにも言い、

「山里の秋の夜深き哀れをも物思ふ人は思ひこそ知れ


 御自身の寂しいお心持ちからでも御同情はしてくだすっていいはずですが」
 と姫君へ取り次がせたのを伝えたあとで、少将が、
「尼奥様がおいでにならない時ですから、紛らしてお返しをしておいていただくこともできません。何とかお言いあそばさないではあまりに人間離れのした方と思われるでしょう」
 こう責めるために、

うきものと思ひも知らで過ぐす身を物思ふ人と人は知りけり


 と浮舟が返しともなく口へ上せたのを聞いて、少将が伝えるのを中将はうれしく聞いた。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 手習

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語

第一段 少将の尼、浮舟の出家に気も動転

少将があわてふためいて行って見ると、僧都は姫君に自身の法衣ほうえ袈裟けさを仮にと言って着せ、
「お母様のおいでになるほうにと向かって拝みなさい」
 と言っていた。方角の見当もつかないことを思った時に、忍びかねて浮舟は泣き出した。
「まあなんとしたことでございますか。思慮の欠けたことをなさいます。奥様がお帰りになりましてどうこれをお言いになりましょう」
 少将はこう言って止めようとするのであったが、信仰の境地に進み入ろうと一歩踏み出した人の心を騒がすことはよろしくないと思った僧都が制したために、少将もそばへ寄って妨げることはできなかった。「流転三界中るてんさんがいちゅう恩愛不能おんあいふのうだん」と教える言葉には、もうすでにすでに自分はそれから解脱げだつしていたではないかとさすがに浮舟をして思わせた。多い髪はよく切りかねて阿闍梨が、
「またあとでゆるりと尼君たちに直させてください」
 と言っていた。額髪の所は僧都そうずが切った。
「この花の姿を捨てても後悔してはなりませんぞ」
 などと言い、尊い御仏の御弟子の道を説き聞かせた。出家のことはそう簡単に行くものでないと尼君たちから言われていたことを、自分はこうもすみやかに済ませてもらった。生きた仏はかくのごとく効験をのあたりに見せるものであると浮舟は思った。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 手習

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る

第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す

 年が明けた。しかし小野の山蔭やまかげには春のきざしらしいものは何も見ることができない。すっかり凍った流れから音の響きがないのさえ心細くて、「君にぞ惑ふ道に惑はず」とお言いになった人はすべての禍根かこんを作った方であると、もう愛は覚えずなっているのであるが、そのおりの光景だけはなつかしく目に描かれた。

かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき


 などと書いたりする手習いは仏勤めの合い間に今もしていた。自分のいなくなった春から次の春に移ったことで、自分を思い出している人もあろうなどと去年の思い出されることが多かった。そまつなかごに若菜を盛って人が持参したのを見て、

山里の雪間の若菜摘みはやしなほひさきの頼まるるかな


 という歌を添えて姫君の所へ尼君は持たせてよこした。

雪深き野べの若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき


 と書いて来た返しを見て、実感であろうと哀れに思うのであった。尼姫君などでなく、宝とも花とも見て大事にしたかった人であるのにと真心から尼君は悲しがって泣いた。
 寝室の縁に近い紅梅の色の香も昔の花に変わらぬ木を、ことさら姫君が愛しているのは「春や昔の」(春ならぬわが身一つはもとの身にして)と忍ばれることがあるからであろう。御仏に後夜ごや勤行ごんぎょう閼伽あかの花を供える時、下級の尼の年若なのを呼んで、この紅梅の枝を折らせると、恨みを言うように花がこぼれ、香もこの時に強く立った。

袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの


 姫君のその時の作である。

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 手習