赤童子 あかどうじ

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童子

あかどうじ(赤童子

童子、春日の祭神四座の天児屋根命なりとも高千穂の峰に天降り給ひし皇孫の扶翼の臣なりともいふ、両部神道の思想より顕はれたるものにして、形態は赤色の童形にて右手に剣を執り、左手に輪宝を捧ぐ。(仏教大辞典)

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

 

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童子

成立年代も、作例の上限が南北朝時代、記録の初出が「春日大明神垂跡小社記」の室町中期の増補部分であることから、さほど古く遡るものとは思えず、鎌倉から室町にかけての頃と推定できよう

春日赤童子考 山本陽子

 

『美術史研究』第25冊 早稲田大学美術史学会 1987

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童子

童子は、右手で杖を握り左手で顎を支える姿をしており、岩座に立っている。赤童子の姿は、まさしく制多伽童子の儀軌に基づいており、害を及ぼそうとする者でもいれば杖でもって今にも打ち倒そうとするかのようである。各地に伝来する赤童子像は、全て同様の姿をしており、南都絵所の絵師たちによって量産されていたと考えられる。

(中略)

童子については興福寺の僧侶の間においても必ずしも統一的な解釈はなされておらず、二御殿香取大明神の本地弥勒菩薩や若宮、不動明王に関連する童子として信仰されていたのであった。

(中略)

童子像は、法相宗の学僧らを守護する童子とされて、彼らの守り本尊として祀られ、病になるとその平癒のために懸けられていたのであった。これらの特質は、まさしく比叡山や葛川で信仰されていた乙護法と同一である。その上両者は、ともに制多伽童子の姿をしている。これらのことから赤童子は、天台宗の乙護法をもとに信仰されはじめたと推定できるのである。

 

『護法童子信仰の研究』小山聡子 自照社出版 2003