阿育王山

www.instagram.com

阿育王とは中国語でアショカ王(BC304-BC232)のことだそうで

あいくわうざん(阿育王山)

阿育王山は、普通略して育王山と呼び、寧ろ其名を以て知らる。支那明州鄭縣にある山の名なり。西晋の太康二年、劉薩訶なるもの、此山上に登りて一古塔を発見し、その昔阿育王の建てたる八万四千の仏塔の一なりと信じて尊重し、爾後この山を阿育王山と呼ぶに至る。続いて梁の武帝の時、此山に在る広利寺を重修して阿育王寺と改めしむ。宋に入りて懐璉此寺に在りて宸奎閣を築き、一時最も盛なる臨済宗の道場と推され、その名遠近に聞えた。其図古く宋の無準禅師の画くものあり。又我が雪舟の入唐して帰朝後画いたもので今に伝ふるもの三本あり。

浅野侯爵家所蔵、黒田侯爵家所蔵、三井男爵家所蔵

狩野探幽筆にも育王山金山寺の対幅あリ。

 『画題辞典』斎藤隆

 アショカ王だから阿育王山なのに略して育王山って呼ぶの変じゃないのかな

www.instagram.com

あいくわうざん(阿育王山)

支那浙江省、寧波府、鄞県治内にある山の名で、略して育王山と呼ぶ。西晋武帝の大康年中、劉薩訶なるもの、此の山中に古塔を発見し、これを阿育王所建の八万四千塔の一と信じて崇拝したので、此の山名となつた。劉宋の頃、曇摩蜜多といふ印度の僧が来て、寺塔を建て、梁の武帝これを重修し、阿育王寺と名付けたので、阿育王山阿育王寺と称するに至つた。(仏教辞林)阿育王山を画いたものには、古く無準禅師の作があり、又雪舟の写したものが三点あつて、浅野侯爵家、黒田侯爵家、三井男爵家に所蔵されてゐる。帝室博物館には狩野益信の作がある。

『東洋画題綜覧』金井紫雲

無準禅師とは無準師範(1177-1249)という牧谿(生没年不明)の師だそうだが

その絵がどこにあるのかわからない

阿育王寺(アウイーワンスー)

寧波市鄞州区に位置し太白山の麓にある禅宗寺院。2006年には、全国重点文物保護単位に指定された。阿育王寺の舎利殿には「釋迦牟尼眞身の舎利」が納められている。 釈迦の遺骨を納めた舎利宝塔が有名。282年に建立された中国国内で唯一インドの「アショーカ王」の名前が残っている古寺。市内から車で約40分タクシー約70元。

太白山というのは阿育王寺と天童寺の間の山のことらしい

あいくおうじ【阿育王寺】
中国の浙江(せっこう)省、寧波(ニンポー)の市街から約16kmの距離に位置する、阿育王山の麓にある寺院で、舎利宝塔(しゃりほうとう)で有名な中国禅宗五山の一つ。創建は、西晋の時代の西暦282年。紀元前3世紀、インド・マウリヤ朝の第3代アショーカ王阿育王)の時代、世界各地に8400あまりの仏舎利塔(釈迦の遺骨を分骨して納めた塔)が建設されたといわれている。そのうち19の塔が中国に建てられたが、この阿育王寺の舎利塔が中国で現存する唯一の仏舎利塔とされている。奈良時代に日本に帰化した唐の高僧鑑真もこの寺を訪れたとされ、曹洞宗の開祖・道元など日本の禅僧ゆかりの寺でもある。
世界の観光地名がわかる事典

寧波は古くからの国際貿易港であり遣唐使以来日本からの船の発着場でもあった

阿育王寺は仏舎利信仰の地として日本でも知られていたらしい

鑑真(688-763)は日本への渡航に失敗した時に滞在し(『唐大和上東征伝』)

 平家物語』巻第三金渡では平重盛(1138-1179)が育王山に自身の供養を依頼

道元(1200-1253)も入宋した折に寧波の港で阿育王山の典座と話し(『典座教訓』)

のちに育王山を訪れた

入宋した道元は、いったん天童山景徳(けいとく)寺に滞在したが、1224年ひとり諸山遍歴の旅にのぼり、育王山広利寺、径山(きんざん)万寿寺天台山万年寺などを歴訪

日本大百科全書

www.instagram.com

金山寺・育王山図(模本)のうち育王山図 原本は雪舟(1420-1502~6没年不明)筆

『没後500年特別展雪舟』(毎日新聞社 2002)