扇売 おうぎうり・あふぎうり 地紙売り じがみうり・ぢがみうり

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地紙売り 鳥居清長

清長唯一の上下2枚続の作品である。下には若い地紙売りがいて、相合傘の振袖娘二人と視線を合わせている様子。扇に貼る扇面型の紙を売る行商の地紙売りは、浮世絵ではこのような若い色男に描かれることが多い。男が担いでいる荷物のうち、黒い 扇面の形をした二つの箱に地紙が入っており、それらに挟まれた赤い箱には扇子の骨などが入れられている。

 

『鳥居清長 江戸のヴィーナス誕生』千葉市美術館 2007

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盲文画話

扇地紙売り

 寛政(1789-1801)頃までは、夏になると扇地紙売りが来ました。いろいろの地紙を入れた箱数個の間に、即席に折る道具の入った箱をはさんで重ねています。馬の押掛で立派に中結いして房を左右に下げ、肩に担いで「地紙/\」と呼び歩きました。

『盲文画話』によると、その姿は縞の帷子、紅麻の新しい襦袢、もしくは晒しの浴衣に当世風の帯で、白晒しの手拭を襟に巻き、大きな加賀骨扇をかざして、足袋、雪駄ばきでした。印籠を下げた洒落者もいました。

 客が頼めば望みに応じて即席に折りました。いずれも拍子を取りながら折る手際が面白かったそうです。

 

『江戸商売図絵』三谷一馬 中央公論社 1995

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扇売り 奥村文全利信

あふぎうり(扇売)

徳川時代に行はれた風俗の一つ、若衆姿で袖無の羽織を着、扇の地紙を売歩く、

扇地紙売の事、予若年の頃は、夏に至れば、地紙形の箱を五つ六つも重ね、肩へかづき売り歩行きける、買人ありて直段極れば、すぐに其の坐にて折り立て売りしなり、又持帰り折立て、翌日持ち来たるも有り、近歳は地紙売一切来たらず、皆人京都下りの折扇を持つことになれり、近頃は扇に伊達を飾る人は更に見えず、右の地紙売は、伊達衣服を着し役者の声色或は浮世物真似などをして買人へ愛嬌をしてうれるが多く有りし也、刻多葉粉売にも此の類有りける。(燕石十種、塵塚談)

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01961/he13_01961_0017/he13_01961_0017_p0013.jpg

江戸生艶気樺焼 山東京伝 早稲田大学図書館

 この作品で、「なんぞ浮気な商売をしてみたく、色男のする商売は地紙売りだろうと、まだ夏も来ぬに、地紙売りと出かけ……」という〈地紙売り〉は、現代では、まったく理解できない職業になってしまった。

 それもそのはずで、曲亭馬琴も『燕石雑志』(文化八年・1810)巻之三の「昔ありて今なきもの」というくだりに〈地紙売り〉をあげ、「只今三十以下の人は、かかる事を知らざるべけれ」と書いたほどで、近世中期までしか存在しなかった古い職業だった。

 (中略)

三十の坂を越えぬは地紙売り(宝十二・礼)

地紙売り我慢が過ぎて風邪をひき(柳23)

専らニヤケを事として地紙売り(柳17)

殿づけに役者を話す地紙売り(宝十三・鶴)

座元がどうしてこうしてと地紙売り(傍4)

なまめいた声で呼ばれる地紙売り(安四・智)

地紙屋さんは幾つだと嫌な下女(安八・仁)

女房になぶられて出る地紙売り(柳2)

地紙売り親爺にに会って横へ切れ(明五・信)

地紙売り母へ逢うのも垣根越し(柳1)

勘当が許りて地紙を売り残し(明四・智)

 

江戸小咄商売往来興津要 旺文社 1986

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 浮世美人寄花 路考娘 瞿麦 鈴木春信

 煙草屋の店先で、杜若を配した京風の団扇を手にたたずむ若い女性。涼しげな単衣の振袖を透かして華奢な体の線が見える。帯は人気の二代目瀬川菊之丞(1741-73)の定紋である結綿の模様。人気の女形菊之丞(俳名路考)のように美しい女性を、当時路考娘と呼んだ。評判の路考娘は何人かいたようで、たちばな町路考と称される芸者などが文献に名を残している。

(中略)

「照日にも思ふ中には吹風の ちりたにすへぬとこなつのはな」この和歌の原拠は『壬二集』(藤原家隆の家集)1931所載の「瞿麦 照る日にも思ふことなし吹くかぜの 塵だにすゑぬなでしこのはな」である。 『壬二集』では「なでしこのはな」とあるのを、ここでは撫子の古名の「とこなつのはな」としている。「常夏」からくる夏の盛りのイメージと、団扇や扇といった涼風を連想させる小道具との取り合わせの妙が楽しい。

 

『青春の浮世絵師 鈴木春信 江戸のカラリスト登場』

千葉市美術館・山口県立萩美術館・浦上記念館 2002年

 

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地紙売り 鈴木春信