御法 みのり【源氏物語 第四十帖】 陵王 りょうおう・りようわう
源氏物語画帖 御法 土佐派
(第一章 紫の上の物語 第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答)
御法 土佐光信
薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき
(第一章 紫の上の物語 第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答)
源氏物語絵色紙帖 御法 詞西園寺寛晴
薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき
夜もすがら尊きことにうち合はせたる鼓の声絶えずおもしろしほのぼのと明けゆく朝ぼらけ霞の間より見えたる花の色々なほ春に心とまりぬべく匂ひわたりて百千鳥のさへづりも笛の音に劣らぬ心地して
(第一章 紫の上の物語 第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答)
源氏物語絵巻 御法
風すごく吹き出でたる夕暮に前栽見たまふとて脇息に寄りゐたまへるを院渡りて見たてまつりたまひて今日はいとよく起きゐたまふめるはこの御前にてはこよなく御心もはればれしげなめりかしと聞こえたまふ
(第二章 紫の上の物語 第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す)
みのり(御法)
御法は源氏物語の一巻なり、紫の上御悩みしきりなりしかば、彌生十四日に僧衆数多召されて法華経の御會あり、之を御法の巻といふなり、紫の上には三つになる姫君を傍近く呼ばせ給ひて遺言などあり、又明石の中宮、若君なども養はれたる方々とてかたみ分けなどあり、八月中程にしきりに重りて遂にかくれ給ふとなり、それ/"\に弔歌などあり、源氏の君の哀しみ一きわなりとなり
陵王(りょうおう)
雅楽の曲名。『蘭陵王』『羅陵王』ともいう。唐楽左舞(さまい)の一つで林邑八楽(りんゆうはちがく)に属す。もと沙陀(さだ)調で現在壱越(いちこつ)調。舞人一人の走舞。鎌倉時代の雅楽書『教訓抄』には、中国北斉の美顔の兵士長恭が大勝利を収めたのを祝したとも、脂那(しな)の王子が父王の陵前で隣国との苦戦を嘆くと、沈みかけた夕日が昇り大勝利を得たのを表すともいうとある。ここから「没日還午楽(ぼつにちかんごらく)」の名もある。「小乱声(こらんじょう)」「陵王乱序」「囀(さえずり)」「沙陀調音取(さだちょうのねとり)」「当曲」「入手(いるて)」の六曲からなる。「陵王乱序」では独特の打楽器のリズムと竜笛の追吹によって舞人が登場し、「囀」では無伴奏でパントマイムのような振をする。別様装束で毛べりの裲襠(りょうとう)に金色の面をつけ右手に桴を持つ。勇壮闊達な一人舞の傑作。番舞は『納曽利』。
舞楽図屏風 英一蝶
源氏物語 御法
第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語
第二段 二条院の法華経供養
第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答
以前から自身の
願 果たしのために書かせてあった千部の法華 経の供養を夫人はこの際することとした。自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。七僧の法服をはじめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭 にする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあった。そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。内輪 事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこれほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を饗応 する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。宮中、東宮、院の后 の宮、中宮 をはじめとして、法事へ諸家からの誦経 の寄進、捧 げ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会 に志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度 したかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。花散里 夫人、明石 夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。それは寝殿の西の内蔵 であった。北側の部屋 に各夫人の席を襖子 だけの隔てで設けてあった。
三月の十日であったから花の真盛 りである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏 のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。薪 こる(法華 経はいかにして得し薪こり菜摘み水汲 みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女王 は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。惜しからぬこの身ながらも限りとて薪 尽きなんことの悲しさ
夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から譏 られることであろうと思って、明石はそれに触れなかった。薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法 ぞはるけき
経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。
源氏物語 御法
第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀
第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る
今日までだいそれた恋の心をいだくというのではなかったが、どんな時にまたあの
野分 の夕べに隙見 を遂げた程度にでも、また美しい継母が見られるのであろう、声すらも聞かれぬ運命で自分は終わるのであろうかというあこがれだけは念頭から去らなかったものであるが、声だけは永遠に聞かせてもらえない宿命であったとしても、遺骸 になった人にせよもう一度見る機会は今この時以外にあるわけもないと夕霧は思うと、声も立てて泣かれてしまうのであった。
あるだけの女房は皆泣き騒いでいるのを、
「少し静かに、しばらく静かに」
と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとしはじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、灯 を近くへ寄せてうかがうと、麗人の女王 は遺骸になってなお美しくきれいで、その顔を大将がのぞいていても隠そうとする心はもう残っていなかった。院は、
「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわかるではないか」
こうお言いになって、袖 で顔をおさえておいでになるのを見ては、大将もしきりに涙がこぼれて、目も見えないのを、しいて引きあけて、遺骸をながめることをしたがかえって悲しみは増してくるばかりで、気も失うのではないかと夕霧はみずから思った。横にむぞうさになびけた髪が豊かで、清らかで、少しのもつれもなくつやつやとして美しい。明るい灯のもとに顔の色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働いているのよりも、己 をあやぶむことも、他を疑うこともない純粋なふうで寝ている美女の魅力は大きかった。少々の欠点があってもなお夕霧の心は恍惚 としていたであろうが、見れば見るほど故人の美貌 の完全であることが認識されるばかりであったから、この自分を離れてしまうような気持ちのする心はそのままこの遺骸にとどまってしまうのではないかというような奇妙なことも夕霧は思った。