丑時参・丑の刻参り うしのときまいり・うしのときまゐり・うしのこくまいり 宇治の橋姫・宇治橋姫 うじのはしひめ・うぢのはしひめ 鉄輪 かなわ

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丑の時参り 鈴木春信

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丑の時参り

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今昔画図続百鬼 丑時参 鳥山石燕

丑時参

丑時まいりは胸に一つの鏡をかくし頭に三つの燭(ともしび)を点じ丑みつの比神社にまうでゝ杉の梢に釘うつとかやはかなき女の嫉妬より起りて人を失い身をうしなふ人を呪詛(のろは)ば穴二つほれとはよき近き譬ならん

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呪咀人形 明治10年(1877)

上野公園でイチョウの樹に鉄釘7本で打ち付けられていた状態で発見

藁人形 わらにんぎょう

藁を材料にしてつくった人形。古代中国では芻霊(すうれい)、芻人とよんで死者とともに葬る副葬品に用いられた。日本では平安時代、疫病が流行すると、これをつくって道に立て、祓(はらい)をした。また田畑の害虫を追いやるまじないに行う虫送りに、斎藤別当実盛などという藁人形をつくり、この人形を村はずれや川まで送る習俗が農村でみられる。藁(稲)を神聖視した現れで、こうした信仰、呪咀的なものに用いられる。呪う人を模した藁人形を神木に打ちつけてその死を祈る「丑の刻参り(うしのこくまいり)」などに登場するのもそれである。また、合戦の際この藁人形に甲冑(かっちゅう)を着せて武者姿に仕立て敵の目をまどわすことなども『太平記』などの軍記物にみえている。

 

 日本大百科全書(ニッポニカ) 小学館

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丑の時参り 魚屋北渓

うしのときまゐり(丑時参)

婦人の白衣して髪を散らし、頭上には三本又五本の蝋燭を立て、胸には鏡を吊り、一本歯の高履を穿ちて、深夜神社の森の古木に藁人形を釘に打ち付け、以て憎し思う人を害せんと祈るものなり。素より妄信より来れることにて、執念深き女のすることなり、凄惨の画題に用いらる。

 

『画題辞典』斎藤隆

 

 

丑の刻参り うしのときまいり

「丑の刻詣で」ともいう。人を呪う呪術のひとつ。丑の刻(午前2時ごろ)に神仏に参拝して、呪う相手の形代としての藁人形を神木などに釘で打ちつけて祈願したもので、江戸時代に多く見られた。白衣の胸に鏡をかけ、高下駄をはいて、髪を振り乱した頭には五徳を逆さに立て、それに三本の蠟燭をともしてつけるといった異様な姿で行う。七日目の満願の日に、釘を打った部分が痛んで相手が死ぬと信じられていた。

 本来は丑の刻に神仏に参詣することで、この時刻に参ると願いごとが必ずかなえられるという信仰があった。『大乗院寺社雑事記』に「東南院禅師珍済夜々大仏八幡へ牛時参を沙汰せられ、御供一人も具せられず」(康正三年四月二十五日)、謡曲「橋弁慶」に「わが宿願の仔細あって、五条の天神へ、丑の時詣を仕り候」などとあるのは、呪詛ではない単なる祈願である。神木に釘を打つ祈り釘の慣習は、単に祈願を掛けるという意味であり、祈祷を人に見られては効果がないと考えられていたところから、深夜に行ったのである。しかし、神木に傷をつけることがゆゆしいことのように感じられるようになると、呪詛の意味が付加されたようである。(柳田国男「御頭の木」『信州随筆』所収)。

 釘を打って人を呪う行為については『天野政徳随筆』巻二に『台記』久寿二年八月二十七日の条「釘を愛宕護山天公像の目に打つ」を引用して「釘を打て人を呪詛する事もふるしといふべし」とある。そして、その効果のほどは『世事百談』巻三に「神は非礼をうけずといふなれば、験あるまじきことなるに、まま験あるものを見聞せり」といっている。

 『平家物語』(百二十句本)剣の巻下には、嵯峨天皇のとき、ある女がねたましく思う女をとり殺そうと貴船大明神に参る話がある。「丈なる髪を五つに巻き、松脂をもつてかため、五つの角をつくり、面には朱をさし、身には丹をぬり、頭に鉄輪をいただき、三つの足に松明を結ひつめ、火を燃やし」二十一日通って鬼となったのが宇治の橋姫であるとしている。これは呪詛のための貴船参りであり、この扮装は、『梁塵秘抄』に「角三つ生ひたる鬼」とあるように鬼を意味している。謡曲「鉄輪」に出てくる貴船に丑の刻参りをする女も同様の扮装で「茅の人形を人尺に作り、夫婦の名字をうちに籠め、三重の高棚五色の幣、おのおの供物を調へて」祈る。

 

『日本伝奇伝説大辞典』角川書店 1986

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今昔画図続百鬼 橋姫 鳥山石燕

橋姫の社は山城の国宇治橋にあり橋姫はかほかたちいたりて醜し故に配偶なしひとりやもめなる事をうらみ人の縁辺を妬給ふと云

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武勇准源氏 橋姫 歌川国芳

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宇治のはし姫 奥村政信

宇治の橋姫

 『古今和歌集』に「さむしろに衣かたしき今宵もや我をまつらむ宇治の橋姫」「千早ふる宇治の橋姫なれをしぞあはれとは思ふ年のへぬれば」の二首が収められていて、歌学書や『古今集』の古注にさまざまな伝説が配されている。住吉明神が宇治の橋姫と津の国の浜で契って、宇治に行く約束をするが、その約束を果たさなかったので、橋姫が「さむしろに」の歌を詠んだとか、宇治の離宮明神が橋姫と毎夜契ったが、明け方になると川波が荒れたとかとか伝える。『奥義抄』巻六などには橋姫のこととして次のような物語を配している。

 むかし、二人の妻を持った男がいて、ひとりがつわりに七いろ(尋か)の和布(わかめ)をほしがったので、男が海辺に探しに行くと、そのまま男は竜王にとられてしまう。その妻は男を尋ね歩くが、ある夜、浜辺の庵で偶然男とあうが、明けるとあとかたもなく消えうせていた。家に帰った妻は、もうひとりの妻にこのことを語ると、その女も浜辺の庵に行き、男にあうが、嫉妬して男に打ちかかると、男も家もあとかたもなく消えうせたという。この物語は脚色されて『橋姫物語』と題する絵巻としても伝わっている。『古今為家抄』などには、嵯峨天皇のとき、ひとりの女が嫉妬から夫に捨てられ、宇治川の水に髪をひたして、鬼になるよう祈り、ついに鬼女になったと伝える。これと同様の説話は屋代本『平家物語』剣巻に見られ、貴船明神に祈り、その告げに従って宇治川に浸って生きながら鬼女となる。これが羅生門の鬼で、後に渡辺綱に腕を切られたことになっている。貴船明神への参詣にあたって、橋姫が頭に鉄輪をのせる話があって、謡曲『鉄輪』とのつながりが暗示されている。『曽我物語』巻八にも姫切という名剣にまつわってこの異伝を収めている。また橋姫は嫉妬深いので、嫁入りのとき、宇治橋を渡ってはならないなどとも伝えられる。(『出来斎京土産』など)。

 

『日本架空伝承人名事典』平凡社 1986 

 

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『繪本頼光一代記』 風俗図絵データベース

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能楽圖繪 鐡輪 月岡耕漁

かなわ(鉄輪)

謡曲の一、夫に捨てられた女の嫉妬の一念凝つて夫を取り殺さうとするを、安倍晴明に祈り伏せられて立去る筋、元清の作であるが出所は『太平記』である。

嵯峨天皇の御宇にある公卿の息女、あまりに嫉妬深くして、貴船の社に詣でつゝ七日籠りて申すやう、帰命頂礼貴船大明神、願くは七日籠りたるしるしには、我を生きながら鬼神に為してたび給へ、ねたましと思ひつる女とり殺さんとぞ祈りける、明神あはれとや思しけん誠に申すところ不便なり、まことに鬼になりたくば、姿を改めて宇治の川瀬に行きて三七日ひたれと示現あり、女房喜びて都に帰り人なき所に籠りて長なる髪を五つに分け角にぞ作りける、顔に朱をさし身には丹を塗り、鉄輪をいたゞき三つの足には松を灯し松明をこしらへて両方に火をつけて口にくはへつゝ夜ふけ人静まりて後、大和大路へはしり出で南をさして行きければ、頭より五つの人もえあがり眉ふとくかね黒にして面あかく、身も赤ければ、さながら鬼形に異ならず云々

とあるに基いたもの、シテは女、ワキは安倍晴明、ツレは夫、狂言貴船社人、処は京師その一節を引く。

如何に申すべき事の候ふ、御身は都より丑の時参り召さるゝ御方にて渡り候ふか、今夜御身の上を御夢想に蒙つて候ふ、御申し有る事ははや叶ひて候ふ、鬼になりたきとの御願にて候ふ程に、我屋へ御帰りあつて、身には赤き衣を着、顔には丹を塗り頭には鉄輪を戴き三つの足に火を灯し怒る心を持つならば、忽ち鬼神と御なりあらうずるとの御告にて候ふ、急ぎ御帰りありて告の如く召され候へ、なんぼう奇特なる御告にて御座候ふぞ、「是は思ひもよらぬ仰せにて候ふ、妾が事にては有るまじく候ふ、定めて人違にて候ふべし、「いや/\しかとあらたまる御夢想にて候ふ程に御身の上にて候ふぞ、かやうに申す内に何とやらん恐ろしく見え給ひて候ふ、急ぎ御帰り候へ「是は不思議の御告かな、先々我屋に帰りつゝ夢想の如くなるべしと、「いふより早く色変はり、気色変じて今までは美女の形と見えつる、緑の髪は空ざまに立つや黒雲の雨降り風と鳴る神も、思ふ中をば避けられし恨みの思を為て人に思ひ知らせん。憂き人に思ひ知らせん。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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能楽百番 鉄輪 月岡耕漁

鉄輪(かなわ)

自分を捨てて後妻を迎えた夫を恨み、貴船の明神に丑刻詣り(うしのときまいり)をしている女(シテ)は、社人(アイ)より「顔に丹を塗り赤い衣を着、鉄輪の三つの足に火をともして頭上に戴いて憤怒の心を持てば鬼になるだろう」という神のお告げを聞き、早くも鬼の姿に変じかけて帰宅する(中入)。女の夫(ワキツレ)は、陰陽師安倍の晴明(ワキ)の占いにより、女の怨みのために命が危ういと知って、祈祷してもらう。そこへ、鬼となった妻(後シテ)が現れ、恨みを述べて後妻の命を奪い、夫を連れ帰ろうとするが、三十番神に追い立てられ、力及ばず退散する。

 

『岩波講座 能・狂言 Ⅵ能鑑賞案内』岩波書店 1989

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京都人形師 大石眼竜斎吉弘 風流女六歌仙 式乾門院御匣 後嵯峨院典侍 歌川国芳

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見立十二支之内 丑 粂の平内左衛門 松若丸 歌川国芳

隅田川花御所染

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見立十二時之内 丑 滝夜叉 中村宗十郎 豊原国周