箙の梅 えびらのうめ・ゑびらのうめ 箙 えびら・ゑびら ひらかな盛衰記 ひらかなせいすいき 梅ヶ枝 うめがえ 無間の鐘 むけんのかね

www.instagram.com

 今様擬源氏 四十三 紅梅 梶原源太景季 朝霞楼芳幾

www.instagram.com

市川羽左衛門の梶原源太景季 勝川春章

www.instagram.com

武勇准源氏 梅枝 梶原源太景季 国芳

www.instagram.com

攝津名所圖會

ゑびらのうめ(箙の梅)

源平生田の森の戦に、梶原源太景季が咲き匂ふ梅を箙にさして笠印とし奮戦した物語は、謡曲にもあるが、『源平盛衰記』に曰く、

梶原は心の剛も人に勝れ数奇たる道も優なりけり咲き乱れたる梅が枝を胡簶に副てぞ指たりける蒐れば花は散けれども匂は袖にぞ残りける。

吹風を何いとひけん梅の花散くる時ぞ香はまさりける

といふ古き言まで思出ければ平家の公達は花箙とて優也やさしくと日々にぞ感じ給ひける

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

 

 

『延慶本平家物語』は、風流を解し和歌に心得のある景季の他の一面をも伝える。すなわち、戦うに際して桜の一枝を手折って箙にはさんで戦ったというのである。その風流に敵方から使いの者が出、「こちなくもみゆるものかは桜狩」と詠みかけると、景季が即座に「いけどりとらむためと思えば」と返したという(巻九「源氏三草山並一谷追落事」)

 

『日本伝奇伝説大辞典』角川書店 1986

www.instagram.com

能楽百番 箙 月岡耕漁

www.instagram.com

能楽図絵 箙 月岡耕漁

箙(えびら)

旅の僧(ワキ)が生田川に来て、川辺に咲く梅の木に目を止める。来かかった男(シテ)に梅の名を尋ねると、男は、生田の合戦で源氏方の侍梶原源太景季が梅花の一枝を箙に挿して笠印となし、功名をとげたところから「箙の梅」と名付けられたと語る。男はさらに一の谷の合戦の物語をし、やがて自ら、景季の幽霊と名のって消える(中入)。その夜、木陰に臥す僧の前に若武者姿の景季(後シテ)が現れ、修羅の苦しみを語り、また、寄する敵を討ち取った勝軍の模様を物語るが、やがて夜が明けるとともに姿を消す。 

 

『岩波講座 能・狂言 Ⅵ能鑑賞案内』岩波書店 1989

www.instagram.com

実競色乃美名家見 梶原源太 傾城梅が枝 歌麿

www.instagram.com

梅が枝が言葉 歌麿

www.instagram.com

見立平仮名盛衰記 鈴木春信

ひらかな盛衰記 ひらかなせいすいき

浄瑠璃。時代物。5段。文耕堂,三好松洛 ,2世竹田出雲,千前軒 (1世出雲) らの合作。元文4 (1739) 年大坂竹本座初演。源平の戦いを背景に,木曾義仲の討死にとその残党樋口次郎兼光の復讐,梶原源太景季の出陣などの物語を展開。源太が母延寿から情けの勘当を受ける「先陣物語,源太勘当」 (2段目) ,樋口一家の身代り悲劇「松右衛門内,逆櫓」 (3段目) ,源太の愛人梅ヶ枝が,源太を出陣させるために,無間の鐘を突こうとする「神崎揚屋」 (4段目) が有名。歌舞伎でも上演。

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 

ひらかな盛衰記~源太勘当・逆櫓・神崎揚屋 | 歌舞伎演目案内 – Kabuki Play Guide –

 

www.instagram.com

見立無間鐘図 川又常行

www.instagram.com

流行猫の戯 梅が枝無間の真似 国芳

無間の鐘 むけんのかね

 久遠寺の北西約3.8kmのところに粟ケ岳があり、その中腹にある寺が無間山観音寺で、この寺の鐘が無間の鐘といわれた。元禄十年(1697)刊の『日本国花万葉記』巻八には「小夜の中山松立こめしひろき山也、山の中五十町此山より右の方一里ばかりに高き山見ゆる、ここに観音寺とて曹洞の小寺あり、古へ此寺に無間の鐘とて有し、いつの比何もの云初しはしらず、世の福裕財徳をねがふ者好みて此鐘をつくに、来世必ず無間堕獄の業をうくるといへ共、現世にはたちまちうとく自在の身となるといひ伝えて、愚感の輩は後来をおそれずとて、こふて此鐘をつくもの多かりしと也、明応の比此寺の住職此鐘をにくみ世人顚倒の凶器悪趣のなかだちなりとて、かつは寺院の瑕瑾と思ひ、此鐘を取りていみじくもあたり成ふかき井のそこへうづまれしとかや」とある。この説によれば明応のころというから1400年末にはすでに鐘は埋められてしまったということになり、この伝説はそれより以前から行われていたことになる。

(中略)

これを浄瑠璃にとりこんだのが元文四年(1739)四月、大坂竹本座初演の「ひらがな盛衰記」四段目の「神崎揚屋の段」である。文耕堂・三好松洛・浅田可啓・竹田小出雲・千前軒らの合作で、義経木曾義仲討伐から一谷の戦までを背景とし、梶原景季・景高兄弟と腰元千鳥、その姉で義仲の腰元お筆の男まさりの活躍や、義仲の臣樋口次郎の奮戦などを描いている。宇治川の先陣争いで佐々木高綱に先をこされた梶原源太景季は、戦場から戻されてくる。事情を語って自害しようとするが、母の延寿の情で勘当され、恋人の腰元千鳥とともに落ちのびる。やがて一谷の合戦となり、景季は参加しようとするが鎧をととのえる金がない。神崎の廓で梅ヶ枝と名のって傾城をしている千鳥は鎧を質から請け出す三百両の金ほしさに、無間の鐘の故事を思い出し、手水鉢を鐘になぞらえて柄杓で打つと、二階から金が降ってくる。実は母延寿が投げ与えたのだったが、これによって景季は紅梅の枝を箙にさして出陣する。梶原源太の箙の梅の件は、風流男の典型として舞踊劇のなかに描かれた。

 

『日本伝奇伝説大辞典』角川書店 1986