真木柱 まきばしら【源氏物語 第三十一帖 玉鬘十帖の第十】
源氏物語画帖 真木柱 土佐派
(第二章 鬚黒大将家の物語 第五段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける)
真木柱 土佐光信
侍に人びと声して雪すこし隙あり夜は更けぬらむかしなどさすがにまほにはあらでそそのかしきこえて声づくりあへり
(第二章 鬚黒大将家の物語 第五段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける)
源氏物語絵色紙帖 眞木柱 詞日野資勝 土佐光吉
正身はいみじう思ひしづめてらうたげに寄り臥したまへりと見るほどににはかに起き上がりて大きなる籠の下なりつる火取りを取り寄せて殿の後ろに寄りてさと沃かけたまふ
(第二章 鬚黒大将家の物語 第五段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける)
源氏物語画帖 真木柱
まきばしら(真木柱)
根社は源氏物語の一巻なり、玉鬘の内侍の大内にありし折より、髪黒の大将専ら通ひ給ひしに、元来大将の北の方物怪に煩ひ玉ひ、或時たきかけして出でさせ玉ひと、傍にある火取りを大将に投げかけしに、御衣焼き、それより疎み玉ひ、遂に玉蔓を北の方にもうけ玉ふには至りしなり、内侍大内を出で玉ふ比、十二三の姫あり、朝夕の御籠愛のこと々て名残惜しく
今はとて宿かれぬとも馴来つるまきの柱よ家を忘るな
と詠み、ひわた色の紙に書き、はしらの割たる中へ笄のさきにてさし入れて出でけるとなり、是故に槇柱の名あるなり
真木柱
(第三章 鬚黒大将家の物語 第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す)
源氏物語図屏風
(第三章 鬚黒大将家の物語 第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す)
源氏五十四帖卅壱 真木柱 尾形月耕
(第三章 鬚黒大将家の物語 第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す)
源氏香の図 真木柱 豊国
今はとて宿借れぬとも
風流略源氏 真木柱 湖龍斎
第二章 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動
第一段 鬚黒の北の方の嘆き
御所へ尚侍を出すことで大将は不安をさらに多く感じるのであるが、それを機会に御所から自邸へ尚侍を退出させようと考えるようになってからは、短時日の間だけを宮廷へ出ることを許すようになった。こんなふうに婿として通って来る様式などは
馴 れないことで大将には苦しいことであったから、自邸を修繕させ、いっさいを完全に設けて一日も早く玉鬘を迎えようとばかり思っていた。今日 までは邸 の中も荒れてゆくに任せてあったのである。夫人の悲しむ心も知らず、愛していた子供たちも大将の眼中にはもうなかった。
第二章 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動
第五段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける
火入れを持って来させて夫人は
良人 の外出の衣服に香を焚 きしめさせていた。夫人自身は構わない着ふるした衣服を着て、ほっそりとした弱々しい姿で、気のめいるふうにすわっているのをながめて、大将は心苦しく思った。目の泣きはらされているのだけは醜いのを、愛している良人の心にはそれも悪いとは思えないのである。長い年月の間二人だけが愛し合ってきたのであると思うと、新しい妻に傾倒してしまった自分は軽薄な男であると、大将は反省をしながらも、行って逢 おうとする新しい妻を思う興奮はどうすることもできない。心にもない歎息 をしながら、着がえをして、なお小さい火入れを袖 の中へ入れて香 をしめていた。ちょうどよいほどに着なれた衣服に身を装うた大将は、源氏の美貌 の前にこそ光はないが、くっきりとした男性的な顔は、平凡な階級の男の顔ではなかった。貴族らしい風采 である。侍所 に集っている人たちが、
「ちょっと雪もやんだようだ。もうおそかろう」
などと言って、さすがに真正面から促すのでなく、主人 の注意を引こうとするようなことを言う声が聞こえた。中将の君や木工 などは、
「悲しいことになってしまいましたね」
などと話して、歎 きながら皆床にはいっていたが、夫人は静かにしていて、可憐なふうに身体 を横たえたかと見るうちに、起き上がって、大きな衣服のあぶり籠 の下に置かれてあった火入れを手につかんで、良人の後ろに寄り、それを投げかけた。人が見とがめる間も何もないほどの瞬間のことであった。大将はこうした目にあってただあきれていた。細かな灰が目にも鼻にもはいって何もわからなくなっていた。
第三章 鬚黒大将家の物語 北の方、子供たちを連れて実家に帰る
第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す
日も落ちたし雪も降り出しそうな空になって来た心細い夕べであった。
「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」
と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が非常にかわいがっている子であったから、父に逢 わないままで行ってしまうことはできない、今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれないと思ってうつぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、
「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」
などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。
姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のするのも悲しかった。姫君は檜皮 色の紙を重ねて、小さい字で歌を書いたのを、笄 の端で柱の破 れ目へ押し込んで置こうと思った。今はとて宿借れぬとも馴 れ来つる真木の柱はわれを忘るな
この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、
「そんなことを」
と言いながら、馴れきとは思ひ出 づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ
と自身も歌ったのであった。
第四章 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ
第五段 玉鬘、帝と和歌を詠み交す
聞こし召したのに数倍した
美貌 の持ち主であったから、初めにそうした思召しはなくっても、この人を御覧になっては公職の尚侍としてだけでお許しにならなかったであろうと思われるが、まして初めの事情がそうでもなかったのであったから、帝は妬 ましくてならぬ御感情がおありになって、最初の求婚者の権利を主張あそばしたくなるのを、あさはかな恋と思われたくないと御自制をあそばして、熱情を認めさせようとしてのお言葉だけをいろいろに下された。こうしてなつけようとあそばす御好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、良人 にことごとく与えているものでないのにと玉鬘は思っていた。輦車 が寄せられて、内大臣家、大将家のために尚侍の退出に従って行こうとする人たちが、出立ちを待ち遠しがり、大将自身もむつかしい顔をしながら、人々へ指図 をするふうにしてその辺を歩きまわるまで帝は尚侍の曹司をお離れになることができなかった。
「近衛 過ぎるね。これでは監視されているようではないか」
と帝はお憎みになった。九重 に霞 隔てば梅の花ただかばかりも匂 ひこじとや
何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように尚侍には聞かれた。
「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」
と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。かばかりは風にもつてよ花の枝 に立ち並ぶべき匂 ひなくとも
と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに帝はお立ち去りになった。