藤袴・蘭 ふじばかま・ふぢばかま【源氏物語 第三十帖 玉鬘十帖の第九】

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源氏物語画帖 藤袴 土佐派

(第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係 第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す)

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藤袴 土佐光信

同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも

(第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係 第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す)

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源氏物語画帖 藤袴

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源氏物語図色紙 藤袴 土佐光吉

ふじばかま(藤袴
源氏物語」第三〇帖の巻の名。光源氏三七歳の八、九月。源氏の使で玉鬘を訪れた夕霧が、玉鬘恋しさのあまり藤袴の花を贈り、和歌の贈答をすることを中心に、鬚黒、蛍兵部卿宮など玉鬘をめぐる人々の思惑を描く。
 
「蘭」は香草の総称であったが、中古以降はもっぱらフジバカマのこととされ、歌語として用いられた。「源氏‐藤袴」でも、地の文では「蘭」といっていても和歌中では「ふぢばかま」である。
 

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源氏香の図 蘭 国貞

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風流略源氏 ふしはかま 湖龍斎

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係

第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る

第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す)

「人に聞かせぬようにと父が申されましたことを申し上げようと思いますが、よろしいのでしょうか」
 と意味ありげに言っているのを聞いて、女房たちは少し離れた場所を捜して、几帳の後ろのほうなどへ皆行ってしまった。中将は源氏の言ったのでもない言葉を、真実らしくいろいろと伝えていた。帝が尚侍にお召しになる御真意は別にあるらしいから、きれいに身をまもろうとすれば始終その心得がなくてはならないというような話である。返辞のできることでもなくて、玉鬘たまかずらがただ吐息といきをついているのが美しく感ぜられた時に、中将の心にはおさえ切れないものがき上がってきた。
「私たちの喪服はこの月でぐはずですが、暦で調べますと月末はいい日でありませんから延びることになりますね。十三日に加茂の河原へ除服じょふく御祓みそぎにあなたがおいでになるように父は決めていられるようです。私もごいっしょに参ろうと思っています」
「ごいっしょでは目だつことになるでしょう。だれにもあまり知られないようにして行くほうがいいかと思います」
 と玉鬘は言っていた。内大臣の娘として大宮の喪に服したことなどは世間へ知らせぬようにせねばならぬと考えるところにこの人の聡明そうめいと源氏への思いやりが現われていた。
「隠したくお思いになることが私には恨めしい気もいたしますよ。悲しい祖母のかたみのような喪服ですから、私は脱いでしまうのも惜しく思われるのです。それにしましてもやはりあなたと私とは一人の方を祖母に持っているのですから不思議な気がいたしますね。喪服をお着になることがありませんでしたら、真実のことを私は知らずじまいになったのかもしれません」
「私などにはましてよくわかりませんが、とにかく喪服を着ております気持ちは身にしむものですね」
 こう言う玉鬘の平生よりもしんみりとした調子が中将にうれしかった。この時にと思ったのか、手に持っていたふじばかまのきれいな花を御簾みすの下から中へ入れて、
「この花も今の私たちにふさわしい花ですから」
 と言って、玉鬘が受け取るまで放さずにいたので、やむをえず手を出して取ろうとするそでを中将は引いた。

「おなじ野の露にやつるる藤袴ふぢばかま哀れはかけよかごとばかりも


 道のはてなる(東路あづまぢの道のはてな常陸ひたちおびのかごとばかりも逢はんとぞ思ふ)」
 こんなことが言いかけられたのであった。玉鬘にとっては思いがけぬことに当惑を感じながらも、気づかないふうをして、少しずつ身を後ろへ引いて行った。

「たづぬるにはるけき野辺のべの露ならばうす紫やかごとならまし


 従姉いとこということは事実だからいいでしょう。そのほかのことは何も」
 と言う

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 藤袴

 

絵入源氏物語 早稲田大学図書館

第二段 九月、多数の恋文が集まる

第三章 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将

 九月になった。初霜が庭をほの白くしたえんな朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘たまかずらの居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、

恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶はんもんしております。

数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき


 十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。兵部卿ひょうぶきょうの宮は、

不幸な運命を持つ、無力な私は今さら何を申し上げることもないのですが、

朝日さす光を見ても玉笹たまざさ葉分はわけの霜はたずもあらなん

私の恋する心を認めていてくださいましたら、せめてそれだけを慰めにしたいと思っています。

 というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。式部卿しきぶきょうの宮の左兵衛督さひょうえのかみは南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。

忘れなんと思ふも物の悲しきをいかさまにしていかさまにせん


 選んだ紙の色、書きよう、きしめた薫香くんこうにおいもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた

 

紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 藤袴