秋夜長物語 あきのよながものがたり
秋夜長物語絵巻
美しい稚児の夢を見る
あきのよながものがたり(秋夜長物語)
室町時代の物語で、梗概は後白河天皇の御時、瞻西上人がまだ桂海といひ叡山東塔の律師であつた時、三井寺の幼児梅若を見初め、これと契を結んだことが因となり、両山の間に争が起り、三井寺は焼き払はれ、梅若は勢多の橋から身を投げ、桂海は西山の岩倉に庵を結び、後に東山の雲居寺に入り行ひすますに至る、作者は詳かでないが、『考古画譜』には左の如く記してゐる。
道の幸に云ふ、秋夜長物語詞書をうつす、寂蓮法師の筆也、絵は光長といひ伝へたれどもさだらかならず、躬行按ずるに、此のさうしは、西山の瞻西上人、梅若丸の事に依りて、道心おこししものがたりなるが、古物語類字抄に、永応の頃などに出でしものならむといへり、げに文体さこそ見えたれ、さて此の物語本文に、後堀川院の御宇に、西山のせんざい上人とて云々と、時代さだかに記したるを、その御代よりもやゝ古く、かの僧正の未生已前なりけむ、長寛文治の頃なりし、寂蓮光長に、この物語の書画あらむこと、所謂道風朝臣の朗詠集のたぐひといひつべし。
此の『秋夜長物語』を絵巻に画きたるものとしては、土佐光長の筆といふもの伝へられ、近くは、帝国美術院第一回展覧会に、梥本一洋の作がある。
『東洋画題綜覧』金井紫雲
夢に見た稚児の梅若に出会う
ちなみに、稚児というのは「子ども」ではない。「ちご」ということばにはたしかに「子ども」という意味があるが、この男色物語に出てくる稚児は寺院で奉仕する成人男子である。この時代の成人は12歳だが、花形は16歳であったようで、稚児物語の主人公はおおかた16歳となっている。宮廷社会であれば、女房がするような役回りを寺院では稚児が行っているのである。したがって、女房と同じく、歌を詠むのがうまく、楽器を上手に演奏し、宴席には酌をして楽しませもするのである。
桂海は庭に身を潜めて機会を待ち
ついに梅若と結ばれる
比叡山に戻った桂海を尋ねて行く梅若は
途中で天狗にさらわれる
梅若の失踪をきっかけとした比叡山との戦で
三井寺は焼き払われる
天狗の牢から逃げ帰った梅若は瀬田の橋から身を投げる
桂海は西山の岩倉に庵を結んで梅若の後世菩提を弔う
その後比叡山守護神の日吉山王が三井寺鎮守神の新羅大明神と宴会をする
仏閣僧房が焼けたのは建て直す時に財施の利益があるため
経綸聖教が焼けたのは書き直す時に伝写の結縁があるため
石山の観音が稚児梅若に化身したのは利生方便であり
日吉山王も桂海の発心を喜んでいるのだという
「秋の夜の長物語」が、最後に、かの稚児、梅若君は石山寺の観音の化身だったのだとするのは、これもまた稚児物語の定石である。奈良の菩提院の観音の由来を語った「稚児観音縁起」がそれを最もよく表している。「稚児観音縁起」は鎌倉時代末期、14世紀初期の作品とみなされている。
(中略)
「秋の夜の長物語」にも「石山の観音の童男変化の徳」と語られていたように、稚児は観音がこの世に現じた姿なのである。したがって、僧侶と稚児との性的関係は、観音と交わっている徳の高い行為と妄想されていたのである。