澪標 みおつくし・みをつくし【源氏物語 第十四帖】 住吉詣 すみよしもうで・すみよしまうで
源氏物語画帖 澪標 土佐派
(第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅 第二段 住吉社頭の盛儀)
例の大臣などの参りたまふよりはことに世になく仕うまつりけむかしいとはしたなければ立ち交じり数ならぬ身のいささかのことせむに神も見入れ数まへたまふべきにもあらず帰らむにも中空なり
(第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅 第二段 住吉社頭の盛儀)
澪標 土佐光信
住吉の松こそものはかなしけれ神代のことをかけて思へば
げにと思し出でて
荒かりし波のまよひに住吉の神をばかけて忘れやはする
(第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅 第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず)
源氏物語絵巻 澪標
源氏物語画帖
みをつくし(澪標)
源氏物語五十四帖の一なり、源氏明石の浦より召還せられて本に復し、權大納言になり玉ひしが、その須磨にありし折.落雷あらんとせしを夢中に住吉の神の御告ありしにより。明石に移り、事なきを得しこと思ひ出で、住吉詣を企つ、然るに明石よりも、明石入道豫ねてより住吉信仰にてありければ。姫具して舟にて来合はす、源氏この機の邊に近く舟あるを怪しみ尋ねつるに、明石入道の船なりとあり、即ち此舟へ和歌あり。みをつくしこふる心にこゝまでもめぐりあいぬるえにはぶかしな此歌あるにより此巻を澪標とはいふなり
みおつくし(澪標)
(後世は「みおづくし」とも。「澪の串」の意) 通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭。水深の浅い河口港に設けるもの。古来、難波のみおつくしが有名。また、和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。みおぎ。みおぐい。みおぼうぎ。みおじるし。みおのしるし。みおぐし。
万葉(8C後)一四・三四二九「遠江(とほつあふみ)いなさ細江の水乎都久思(みヲツクシ)あれを頼めてあさましものを」
源氏物語図 澪標 狩野晴川院養信
攝津名所圖會 住吉神社
能楽百番 住吉詣 月岡耕漁
能楽図絵 住吉詣 月岡耕漁
すみよしまうで(住吉詣)
謡曲にして源氏物の一なり、源氏物語澪標巻に、源氏宿願ありて摂津住吉神社に参詣せしに、図らずも明石の上も亦詣で来てふと出会ひしも、唯消息のみとり交はせしのみにて相別れける記事を其儘採れるものなり、唯これは盃などとり交はして別れしさまに記せり、処は摂津住吉、季は八月なり。明石の上とは明石入道の女にして、源氏明石に流浪の節寵せられ姫君一所設け、後都に召されたるなり、
ある年の秋、今は都で声望ならびない光源氏(ツレ)は、かつて須磨配流のおりに住吉明神に願を立てたことがあったので、今日はそのお礼参りのために惟光(ツレ)以下供の者をしたがえて明神にもうで、神主(ワキ)に祝詞をあげさせて神楽を奏し、童随身(子方)に今様をうたわせ、舞を舞わせなどした。そこへ配流のころに契った明石上(シテ)が舟に乗って住吉詣でに来たが、源氏の君も参詣と聞いてさすがにはずかしく、難波の入江に舟をとめて祓をしていた。光源氏はこれを見て明石上に対面し、互に心の変わらないことを語り、杯を重ねて舞を舞い、歌をよみかわしたが、やがて名ごりを惜しみながら、明石上は舟影遠く去り、源氏も都に帰った。
総合日本戯曲事典 平凡社 1964
第二章 明石の物語 明石の姫君誕生
第一段 宿曜の予言と姫君誕生
源氏は
明石 の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
という報 せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。
第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向
第一段 花散里訪問
五月雨 のころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇 であったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命を歎 く程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内 はいよいよ荒れて、すごいような広い住居 であった。姉の女御 の所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。朧 ろな月のさし込む戸口から艶 な姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏 が近くで鳴くのを聞いて、水鶏だに驚かさずばいかにして荒れたる宿に月を入れまし
なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。どの人にも自身を惹 く力のあるのを知って源氏は苦しかった。「おしなべてたたく水鶏に驚かばうはの空なる月もこそ入れ
私は安心していられない」
とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。
第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅
第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る
こちらの
派手 な参詣ぶりに畏縮 して明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心で憐 んでいた。初めのことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。住吉を立ってから源氏の一行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。淀 川の七瀬に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、「今はた同じ浪速なる」(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供した。源氏は懐紙に書くのであった。みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひける縁 は深しな
惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖 さばかりが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。数ならでなにはのこともかひなきに何みをつくし思ひ初 めけん
田蓑島 での祓 いの木綿 につけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっていた。夕方の満潮時で、海べにいる鶴 も鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。露けさの昔に似たる旅衣 田蓑 の島の名には隠れず
と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船を漕 がせて集まって来る遊女たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもしろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑 した。
第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い
第三段 六条御息所、死去
源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の
御簾 を下 ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母 などから、
「もったいないことでございますから」
と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。雪が霙 となり、また白く雪になるような荒日和 に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。降り乱れひまなき空に亡 き人の天 がけるらん宿ぞ悲しき
という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。宮は返事を書きにくく思召したのであるが、
「われわれから御挨拶 をいたしますのは失礼でございますから」
と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香 のにおいを染ませた艶 なのへ、目だたぬような書き方にして、消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に
とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった