松風 まつかぜ【源氏物語 第十八帖】
源氏物語画帖 松風 土佐派
(第三章 明石の物語 桂院での饗宴 第二段 桂院に到着、饗宴始まる)
大御酒あまたたび順流れて川のわたり危ふげなれば酔ひに紛れておはしまし暮らしつ
(第三章 明石の物語 桂院での饗宴 第二段 桂院に到着、饗宴始まる)
松風 土佐光信
月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ
うらやましうとあり
(第三章 明石の物語 桂院での饗宴 第三段 饗宴の最中に勅使来訪)
まつかぜ(松風)
源氏物語の一節なり、源氏の君の明石にて契りし明石の上が都に上り、大井河の邊に家作りして住み玉ふに、川なみすこく松風吹ほらひて淋しさ限りなし、源氏のかたみとて遺せし琴かきならし。身をかへてひとりかへれる古郷に聞しににたる松風そ吹くなどあり、源氏の君は桂に御堂を建て、月に二度参詣あり、その都度大井河にも歸らず、月の二度の契りとはいふなり
げんじ五十四まいのうち 第十八番 げんじ松風 西村重長
身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
浮世源氏八景 松風夜雨 鳥文斎栄之
第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋
第七段 明石一行の上洛
車の数の多くなることも人目を引くことであるし、二度に分けて立たせることも
面倒 なことであるといって、迎えに来た人たちもまた非常に目だつことを恐れるふうであったから、船を用いてそっと明石親子は立つことになった。
午前八時に船が出た。昔の人も身にしむものに見た明石の浦の朝霧に船の隔たって行くのを見る入道の心は、仏弟子 の超越した境地に引きもどされそうもなかった。ただ呆然 としていた。
長い年月を経て都へ帰ろうとする尼君の心もまた悲しかった。かの岸に心寄りにし海人船 のそむきし方に漕 ぎ帰るかな
と言って尼君は泣いていた。明石は、いくかへり行きかふ秋を過ごしつつ浮き木に乗りてわれ帰るらん
と言っていた。
第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会
第一段 大堰山荘での生活始まる
山荘は風流にできていて、大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、
住居 の変わった気もそれほどしなかった。明石の生活がなお近い続きのように思われて、悲しくなることが多かった。増築した廊なども趣があって園内に引いた水の流れも美しかった。欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと明石の人々は思った。源氏は親しい家司 に命じて到着の日の一行の饗応 をさせたのであった。自身で訪 ねて行くことは、機会を作ろう作ろうとしながらもおくれるばかりであった。源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、女は明石 の家も恋しかったし、つれづれでもあって、源氏の形見の琴 の絃 を鳴らしてみた。非常に悲しい気のする日であったから、人の来ぬ座敷で明石がそれを少し弾 いていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。横になっていた尼君が起き上がって言った。身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く
女 が言った。ふるさとに見し世の友を恋ひわびてさへづることを誰 か分くらん
第三章 明石の物語 桂院での饗宴
第二段 桂院に到着、饗宴始まる
りっぱな
風采 の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。源氏は車へ頭中将 、兵衛督 などを陪乗させた。
「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」
源氏は車中でしきりにこう言っていた。
「昨夜はよい月でございましたから、嵯峨 のお供のできませんでしたことが口惜 しくてなりませんで、今朝 は霧の濃い中をやって参ったのでございます。嵐山 の紅葉 はまだ早うございました。今は秋草の盛りでございますね。某朝臣 はあすこで小鷹狩 を始めてただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」
などと若い人は言った。
「今日はもう一日桂 の院で遊ぶことにしよう」
と源氏は言って、車をそのほうへやった。桂の別荘のほうではにわかに客の饗応 の仕度 が始められて、鵜 飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥を萩 の枝などへつけてあとを追って来た。杯がたびたび巡ったあとで川べの逍遥 を危 ぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。