朝妻舟 あさづまぶね

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朝妻舟は朝妻と大津を結ぶ琵琶湖の渡し舟

船の上で遊女が旅人の相手をしたという

 一蝶が、中院通勝の「このねぬる朝妻舟の浅からぬ契りを誰にまたかはすらん」の歌に依拠して作った小唄を主題に描いたもの。この唄は、元禄十六年刊行の音曲本『松の葉』の端唄の部にも載せられ流行したという。本図にはこの四段の歌の初めの一段を記している。朝妻舟とは、琵琶湖東岸の朝妻と大津を結ぶ渡し船であったが、遊女が乗って客をとることもあったという。本図では、鼓を前に、烏帽子水干姿の白拍子が乗った小舟が柳の枝垂れる岸辺に寄せている。一説に、この白拍子が将軍徳川綱吉の愛妾・お伝の方をやつして描いたものと見られ、それが一蝶流罪の原因になったとも伝えられ、「朝妻舟図」は一蝶画の名物として数多く描かれた。

 本図は英一蝶落款であり、赦免後に描かれたもの。定型の朝妻舟とは左右反転の構図であり、舟が岸に向かって進むという類例は見あたらない。略筆で淡泊に描かれているが、白拍子の表情はやまと絵風に、典雅に描かれている。「因旧友需」とあることから、友人の求めに応じて描いたものと分かる。

隆達が破れ菅笠志め緒の

かつらながく傳ハりぬこれから

見れば近江のや

あだしあだ波よせてはかへるなみ

朝妻舟のあさましやあゝまたの日は/\

たれに契りをかハして色を

枕はつかし偽がち成我とこの山

よしそれとても世の中

  因旧友需

  隠士英一蝶自畫讃

  「趣在山雲泉石間」 朱文円印、「君受」朱文方印

 

『一蝶リターンズ 元禄風流子 英一蝶の画業』板橋区立美術館 2009

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朝妻舟図 英一蝶

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英一蝶画譜

あさづまぶね(朝妻舟)

柳の下に船を繋ぎ、烏帽子水干の白拍子が鼓を手にして座してゐる図で、元禄の頃英一蝶がこれを画いて忌諱に触れ罪を得て流罪になつたので有名であり、その由来は太田南畝の『一話一言』に精しい。

あさづまぶね 英一蝶作

隆達がやぶれ菅笠しめ緒のかつら長くつたはりぬ是から見れば近江のや。

「あだしあだ浪よせてはかへる浪、朝妻ぶねのあさましや、あゝ又の日はたれに契りをかはして色を/\。枕はづかし、偽がちなる我が床の山、よしそれとても世の中」。

これ一蝶が小歌絵の上に書きて、あさづま舟とて世に賞翫す、一蝶其はじめ狩野古永真安信が門に入て画才絶倫一家をなす、ここにおいて師家に擯出せらる、剰事にあたりて江州に貶謫、多賀長湖といふ、元来好事のものなり、謫居のあひだくつれる小歌の中に、あだしあだ浪よせてはかへる浪、あさづま舟のあさましや云々、此絵白拍子やうの美女水干ゑぼうしを著てまへにつゞみあり、手に末広あり、江頭にうかべる船に乗りたり、浪の上に月あり、(此の月正筆にはなし、書たるもあり、数幅かきたるにや)。

あさ妻舟といふは、近江にあさづまといふ所あるに付て、湖辺の舟を近江にはいにしへあそびものゝありしゆへ、遊女のあさあさしくあだなるを思ひよせて一蝶作れるにや、文意聞したるまゝなるを誰に契をかはして色を枕はづかしといふあり、色を枕はづかしとはつづかぬ語意なるをと、数年うたがへるに、後に正筆を見ればかはして色をかはして色をと打かへして書たり、しからばわが世わたりの浅ましきを嗟嘆するにて、句を切て枕恥かしといへるよく叶へり句を切て其次をいふ間だに、千々の思こもりておもしろきにや、又朝づま舟新造の詞にあらず、西行歌、題しらず

おぼつかないぶきおろしの風さきに朝妻舟はあひやしぬらむ(山家集下)

又地名を付て何舟といふ事、八雲御抄松浦船あり、もしほ草にいせ舟、つくし舟、なには舟、あはぢ舟、さほ舟あり、もろこし舟いふに不及。

(一話一言巻十四)

一蝶の筆といふ朝妻船で有名なのは、松沢家伝来のもので、これには一蝶と親交のあつたといふ宗珉の干物の目貫、一乗作朝妻船の鍔一蝶作の如意、清乗作の小柄を添へ、更に一蝶の源氏若紫片袖切の幅と嵩谷の添状がある。浮世絵にもこれを画いたものがある。

 

『東洋画題綜覧』金井紫雲

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近江名所図会 朝妻舟

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朝妻船図 蹄斎北馬

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朝妻ふね 香蝶楼国貞

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朝妻舟 歌川広重

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朝妻舟 鈴木春信

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朝妻舟 鈴木春信